地上絵の組合せからは、当時の価値観を知ることもできます。南谷の居住地の近くには人間によって飼い慣らされた家畜が描かれている一方で、北谷にある居住地付近では半獣半人の地上絵が描かれています。この2つの間には、野生の鳥が描かれています。
人間・家畜・半獣半人・野生動物といった3つの区分があり、居住地を移動する際にこれらの地上絵を繰り返し見せることで、この価値観が当時の社会で共有されたのではないでしょうか。
――古代のナスカには、文字や言葉がなかったと聞きます。
実は大学生の時代、たまたま手に取った本がペルーのインカ帝国に関する人類学の本でした。インカ帝国には文字がないのに、人口は1000万人を超えていたのです。
現代に生きるわれわれは文字なしには生活が成り立たないのに、彼らはどうやって情報をやりとりしていたのだろう、と疑問に思いました。
文字は必ずしも便利な道具ではない
同じアンデス文明のナスカ社会でも、人々は文字のない農耕社会を築き上げてきました。面タイプの地上絵は先ほども言ったように、道標的な目的も含め「見る」ためだったと考えています。一方、線タイプの巨大な地上絵は儀礼用の広場で、「見る」たけではなく、そこに人々が「集う」目的があったのではないか、と思いました。
インカ帝国の場合、首都クスコには300カ所以上の礼拝所がありました。これらの礼拝所の配置を、インカの人々は王族内部の序列を記録するために利用しました。また王の正統性を示すために、首都クスコはインカ王のシンボルであるピューマの形をしています。
確かに、ナスカには文字が存在しませんでした。情報伝達の媒体として地上絵を選んだナスカの人々には、文字は必要なかったのではないでしょうか。文字は「話し言葉」に基づくので、インカやナスカのような多様な言語が話された社会では、文字は必ずしも便利な道具ではありません。文字を普遍的に便利なものだと考えるのは、非常に西洋的・中国的なものの見方です。
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