日本人が200年前から「勤勉だった」という根拠 産業革命の頃、江戸時代の日本で起きたこと
労働力が十分だった日本vs.人手不足だったイギリス
戦国時代が終わり太平の世になると、日本の人口は爆発的に増加し、1800年頃には清と同じく人口過剰時代へ突入しました。生活を支える経済活動に対し、人口が相対的に過剰傾向にあることを「人口圧」が高いと表現します。この状態になると、最低生活レベルの賃金で容易に労働力を確保できるようになります。
これは手作業が必要な工芸や園芸の発展にとってはかなりの好条件ですが、労働生産性を高めるための技術の発展、すなわち工業化を推進するためには不都合です。
一方、同じ時代のイギリスの状況はまったく異なっていました。ジェームズ・ワットなどの発明家たちは、なぜあれほど多くの時間と資金を研究開発に注いだのでしょうか?
生産物を売るための市場が存在したことも大きいのですが、もう1つの理由は「労働力を節約する機械」を開発することが金儲けになったからです。つまり、労働力が高価で資本が安価なところでは、機械を使うほうが利益になりますが、その条件にイギリスが該当していたというわけです。
ここで少し付け加えると、19世紀前半の日本の状況は中国とよく似ていました。中国では爆発的に人口が増える中で、労働生産性はむしろ低下していたのです。市場経済が発達していた長江下流の社会について研究した中国の歴史家は、「土地単位面積当たりに投入する労働力の増加」が、1人当たりの生産量低下につながったと報告しています。
このような現象を経済学では「収穫逓減(しゅうかくていげん)」と言います。例えば1反(約991平方メートル)の農地で穀物を栽培する場合、1人よりも2人で働くほうが収穫量は増えます。
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