日本人が200年前から「勤勉だった」という根拠 産業革命の頃、江戸時代の日本で起きたこと

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ところが、2人が3人、3人が5人に増えると、収穫量の増加率は急激に鈍っていきます。種子の改良や化学肥料の投入がなされない限り、収穫逓減は避けられません。つまり、農業に適正数以上の人力を投入する社会では生産性が低下し、1人当たりの所得も減少する可能性が高いのです。

したがって、近代的な成長(=生産性の向上)が経済全体の成長をリードする過程を経るためには、製造業を育成することが必須となります。製造業は農業と違って「収穫逓増(しゅうかくていぞう)」が起こるからです。収穫逓増の最も代表的な事例が、1900年代初頭にアメリカのフォード自動車会社が開発した「T型フォード」でした。

異分野の仕組みを応用して新時代を築いたT型フォード

1908年にT型フォードが初めて発売されたとき、その年間生産量は1万台にすぎませんでした。販売価格は825ドルで、これを2017年の物価に換算すると2万2500ドル(現在のレートで換算すれば約240万円)になります。そういうわけでT型フォードは高額なうえにスタイリッシュとは言いがたく、発売当初は不人気でした。ところが、1910年に設立されたハイランドパーク(ミシガン州)の新工場にベルトコンベアという革新的な工程技術を導入したことで状況が一変しました。

もちろん、ベルトコンベア・システムはフォードの発明ではありません。ヒントになったのはシカゴの食肉解体工場でした。当時の食肉解体工場のシステムは、家畜をフックで吊り上げてから移動させ、数十人の労働者がそれぞれ自分の担当の部位だけを切り出すというものでした。

フォードはそのアイデアを取り入れるにあたって、重い自動車をフックで吊り上げることはできないので、大きなベルトの上にシャーシを置くよう工程技術を修正します。その結果、生産性が爆発的に向上し、1909年には1万台にすぎなかった生産量が、1918年には66万4000台、1922年には130万台にまで増加したのです。

労働力の投入量は一定なのに、生産量が急増。このような現象を表すのが「学習曲線」です。労働者が作業に習熟するだけでなく、無駄な工程を省き、生産に支障をきたす問題を解決していく過程で、1人当たりの生産量は徐々に増加。こうして労働者1人当たりの生産量が増加し続けると、自動車1台当たりのコストは低下することになります。

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