日豪がインド太平洋地域の核として重責担う訳 強硬な中国を牽制し、民主主義を守るために

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ともにアメリカの同盟国である日豪両国は、1980年代にはアジア太平洋地域における地域協力を主導していき、さらに現在では「自由で開かれたインド太平洋」をもっとも強力に促進する2カ国となっている。さらに両国は、環太平洋パートーシップに関する包括的および先進的な協定、いわゆるCPTPPに参加しており、その中核的な2カ国となっている。このCPTPPにアメリカ、中国、インドというこの地域の3つの大国が参加していないことを考えると、日豪関係の重要性が浮き彫りになる。

さらには、日米豪印の4カ国は、この地域の主要な民主主義諸国として、いわゆる「クアッド」としての4カ国安全保障協力を促進してきて、10月6日には東京でその4カ国外相会談が開かれた。また、在日米軍基地と在豪米軍基地は、インド太平洋地域における米軍の活動の不可欠な礎石となっている。アメリカは、日豪両国との緊密な同盟関係なしでは、この地域で積極的な活動をすることは困難なのだ。

米英のインド太平洋関与を確保せよ

このような日豪間の緊密な協力関係を戦後史の中に位置づけると、とりわけ興味深いといえる。というのも、1951年9月に戦争に敗れた日本との講和条約となるサンフランシスコ講和条約を締結した諸国の中では、オーストラリアこそがもっとも強硬な反日感情を抱き、また過酷な講和条約の条件を求めていたからである。

さらに興味深いことに、このサンフランシスコ講和会議に至る過程で、アメリカのとりわけ国務省が提案していた集団防衛枠組みとしての「太平洋協定(a Pacific Pact)」を形成しようとしたときに、オーストラリア政府の最も強硬な反対によって実現が阻まれていた。

そもそもこの構想は、フィリピン政府の提唱で、「アジア版NATO」を創ろうとしたことと、その要請にアメリカ国務省が応えようとしたことがその起源であった。一時期、アメリカ政府は真剣にその実現可能性を検討して、日本政府やイギリス政府とも交渉を行ったが、結局その「アジア版NATO」が挫折した最大の理由は、日本を最大の脅威と捉えていたオーストラリア政府の反対であった。

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