それまで、大洋に囲まれていたオーストラリアは、長年、安全保障上の脅威とは無縁であった。ところが、日本軍による1942年2月のダーウィン空襲、さらには同年5月のシドニー港攻撃は、オーストラリア人の安全保障認識を根底から揺るがすことになる。
そのことが、オーストラリアが戦後、イギリスから離れてアメリカに接近して、いわゆるANZUS条約(太平洋安全保障条約)を1951年9月にアメリカおよびニュージーランドと締結する契機となる。日本を最大の脅威とみなすオーストラリアにとっては、日本との間で安全保障条約を締結することなどは、とうてい受け入れられないことであった。
戦後の日本の太平洋政策は、日豪和解の歩みとともに進展していった。さらには経済的な相互依存関係、文化交流の発展が、両国の関係をより緊密なものとした。2014年7月にオーストラリアのキャンベラにある国会の両院総会で行った安倍晋三首相の歴史認識に関する演説は、そのような日豪和解をまさに完結させるに相応しい画期的な内容であった。もはや、歴史認識問題は日豪安保協力を促進するうえでの障害とはなっていない。
とはいえ、日豪両国の協力のみでは、「自由で開かれたインド太平洋」の促進にも限界がある。中国が海警法を改正し、海洋覇権をめぐって、より強硬な姿勢を示すことを考慮すれば、世界最大の軍事大国であるアメリカの関与なくして日本もオーストラリアも死活的な利益や自国の安全を確保することは難しい。
さらには、2月1日にイギリスがTPP加盟申請を行い、また「クアッド」の4カ国防衛協力の枠組みへの関与を示唆するようになったことで、この地域においてルールに基づいた国際秩序の確立が進行するであろう。この地域における戦後体制の基盤、いわゆるサンフランシスコ体制を構築したのが、米英の2カ国であった。その両国がいま、インド太平洋地域への関与を再び強化しつつあることは日本にとっても歓迎すべきことだ。
日豪に求められる積極的な役割
不透明で不安定であったインド太平洋地域の将来は、菅政権の日本とモリソン政権のオーストラリアが中心となり、バイデン新政権のアメリカ、そしてさらには「グローバル・ブリテン」というスローガンを掲げるEU離脱後のイギリスという、2つの民主主義国の強力な支援を得て、日豪両国はより積極的な役割を担うことが求められる。
そのうえで、イギリスのコーンウォールで6月に行われる予定のG7サミットは、実質的には1回目の「D10サミット」として、民主主義諸国がその結束と優越性を世界に示す重要な機会となるであろう。そしてその果実として、「自由で開かれたインド太平洋」がこれからのこの地域における中核の理念として、幅広く共有されることになるのではないか。
(細谷雄一/アジア・パシフィック・イニシアティブ研究主幹、慶應義塾大学法学部教授)
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