日本人は過去150年の経験を生かし切れてない 苅谷剛彦さんが語る「知に対する謙虚さ」の意味

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苅谷:今、保守の方が「伝統」ということの多くは、近代になってから発明されたものばかりです。日本的なものとして江戸時代から存在していたものもありますが、それらが近代的な解釈を経て、いまだに記憶に残っている言葉の中に郷愁を感じ、日本回帰をするというパターンが多いのではないかと思います。現在のような不安定な状況において、保守回帰やナショナリズムへの回帰というのはとてもわかりやすい言説になりますし、そのことによって安心を求めようとする気持ちも理解できますが、そういった日本回帰ではなく、謙虚さをもって過去から学ぼうとする姿勢が重要です。

少なくとも、西洋列強、西洋近代を前にして、日本人がストラグルしながらも、努力し、戦いながら、自分たちでなんとか生き残っていこうとした、努力や格闘の痕跡というのは、冷静に評価すべきことだと思っていますし、非西洋圏においては、日露戦争での勝利はたしかに輝かしい偉業だったわけです。ただ、私はこのことをアカデミックな、教育の文脈の中で語っていますが、それらが政治的な話になると、必ず政治的に利用しようとする人が出てくるので、そこに難しさがあります。

最も強力な抵抗は、徹底して謙虚であること

そのように利用しようと企てる人に対しては、先ほど述べた、徹底した「知に対する謙虚さ」が大きな抵抗になります。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやガンジーなど、暴力よりも非暴力の抵抗のほうが強いという言い方があるように、さまざまな知に対して徹底して謙虚であることは、シンプルに相手を攻撃する人たちよりも強く、政治的な企てにも翻弄されない強い足場を持ちます。知の世界における、ある種の非暴力主義ですね。

私は決してナショナリズムを否定するわけでありませんが、ナショナリズムが政治的にどう使われるかということ自体が問題になるわけで、そういったときに知的伝統の中で冷静に判断をできる人がいて、多様な判断が存在するのであれば、私は、ナショナリズムを否定する立場にはありません。それは「内部の参照点」のひとつだと思っています。

須賀:ナショナリズムそのものを否定するのではなく、それに翻弄されない足場作りが重要だということ。その態度こそが「知に対する謙虚さ」だということですね。

苅谷:おっしゃるとおりです。そういった個人をできるだけつくるのが大学の役割だと思っています。グローバル化に振り回されずに、自分たちの「内部の参照点」に根ざした足場をきちんと持つことが重要です。150年以上に及ぶ日本の近代化の経験というのは、それ自体が一種の歴史的な実験室のようなもので、そこから学べることは本当に多くあります。

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