苅谷:もっと身近なことでいえば、3密を避けるとか、マスクをするかどうかといった日常の行動一つひとつでも、社会が合意している事柄に関して、自分がどのような行動をとるかということを自己決定しなくてはなりません。ご質問から逃げているわけではありませんが、非常に複雑な出来事が起きている中で決定を迫られるという状況が、ご質問に対してお答えすることを難しくしています。申し訳ありません。
須賀:いえ。そういった判断を留保すると言いますか、不安定に耐える、不可知を認めるということが、今、最も求められ、かつ非常に難しい態度だと思います。社会のデジタル化を政策にどう反映するかということを考える際にも、「自己決定ができる自立した自由な個人」という近代の西洋型の個人モデルを前提にした考え方の限界を感じる場面が多々あります。
これだけデータが多面的に手に入り、それらをリアルタイムで評価することが可能になりますと、「自己決定し、判断した結果を自分で引き受けなさい」というのは、非常に負荷のかかるモデルです。このような社会を生き抜く個人を育てていくためには、今後どのようなことが重要になるとお考えでしょうか。
100年前の報告書が示す「知に対する謙虚さ」
苅谷:新著『コロナ後の教育へ』の中でも書いたのですが、100年前にスペイン風邪の流行が収束した際に、当時の内務省衛生局が『流行性感冒』というタイトルで報告書を書いています。この報告書を読むと、当時の公的部門の専門家たちがこの大流行をどう捉えて、どういったふうに記録として残したかということがよくわかります。彼らは、その報告書を歴史的資料にしようとは思っていなかったと思いますが、100年後の現在の視点から見ると、彼らの知的な態度はとてもフェアなんです。
当時はまだウイルスという概念がありませんから、細菌学の知識から菌を発見し、感染症に対応しようとします。現在の医学の知識からいえば、これは根底から間違っているわけですが、当時トップレベルと言われた北里研究所は、細菌学の知識に基づいた感染症対策を日本でリードします。
当時のマジョリティは、細菌学に基づいた、北里研究所の細菌説でしたが、『流行性感冒』の報告書は、細菌説に反対する立場の人の意見も公平に記しながら、他国では細菌説を否定する議論もあることや、細菌説が必ずしも確たる事実によって認められているわけではないことも書き記しており、どちらかの側に立つのではなく、未知の感染症を多元的な見方で捉えようとする態度をとっています。
須賀:特定の立場に立とうとしないわけですね。
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