苅谷:近代化、工業化の過程で生じた水俣病などの例も、地球環境や汚染の問題を考えるうえで、必ず参考にすべきことだと思います。福島第一原発の事故も然りです。日本の歴史を振り返ると、いろいろな時代に「参照点」となる場所がたくさん詰まっています。そして、そういったことを理解できる、さらに理解できるだけでなく、人類のために役に立てられる人は日本の教育でしか作ることができません。
須賀:まさしく日本の教育にしかできないことですね。
日本語で書かれたものは研究の宝庫
苅谷:私は海外に渡ってから、日本語で書かれたものが研究の宝庫であるということに気づきました。日本語が読めるアドバンテージをどのようにグローバルに還元していくかということは、つまり、先ほど述べた日本の近代化の経験をどのようにしてグローバルに伝えていくかということです。
日本の大学の関係者の方とお話しするときも、もっと日本語の力を信頼して、日本語で書かれたものの価値を認識し、そのうえで、なぜ、それを外国語で表現しなくてはならないのかということを理解することが重要だと話しています。順番を間違えて、なんでも授業を英語でやればいいというようになってしまえば、授業を英語にしたところで、それほど高いレベルにまでは到達しません。
これまで相当高いレベルにあるゴールの話をしていて、日本の教育全体に関する話にはなっていませんが、少なくとも日本の教育が果たすべき具体的な目標であり、実際にグローバルに貢献可能なこととしては、「内部の参照点」をきちんと見つけ、そこから得られた経験を多声的に理解できる人間を作り出していくことだと思います。例えば先の例のように、100年前のパンデミックについて報告書を書いた人たちのことを追体験的に考えることによって、今のわれわれに何ができるかということについて考えられることがたくさんあると思います。
そのためには、さまざまな知識が必要で、日本語が読めなくてはいけませんし、歴史的な背景に対する理解や、何らかの科学的な知識、国際関係に関する知識も必要です。いわゆる高校までに習う知識というのはそういう形で役立てようと思えば、そこに到達できるための知識はとてもよく詰まっていますから、やはり、学校で教える知識がなぜ重要なのかということも含めたゴールセッティングが欠かせないのだと思います。
須賀:苅谷さんの話を伺って、私たちも何か重要なポイントを見失っていたのではないかと気づかされました。ありがとうございました。
(制作協力:黒鳥社)
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