日本の「境界ない」建築が世界に求められる理由 妹島和世さんが語る「建築・デザイン」のこれから

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妹島:変化と言えば、最近、日本の建築の中でよく使われるようになった言葉は「換気」です。日本は昔から湿気が多い国ですから、障子や引き戸によって簡単に開け閉めができるようにするなど、空間を密閉しないのが特徴です。なので、隙間風があったりもしますし、「換気」は何か自然に行われていたように思います。

一方、おそらく北ヨーロッパから持ち込まれて、近年、日本でも多く見られるようになった、高気密・高断熱という考え方は、完全に区間を切り取って、外側と内側を分けるやり方です。この考え方は、パンデミックによって否定的に捉えられる前から、個人的にはなかなか理解しづらかったんです。空間の内側と外側を完全に分けることで、エネルギーをセーブしているのですが、それはあくまで空間の内部での話で、外側を合わせた全体としてどのような状態かというのは内側にいる限り、どうしても見えにくいですよね。

つまり、たとえ空間を密閉して自分がいる場所だけを最適化したとしても、その状態を成立させるために、外側の状態が悪くなってしまえば、全体としていい状態だとは言えません。周りの環境も含めた全体の中でいい状態を目指すべきだと思いますし、世の中でよく言われる「サステイナブル」というのはそういった状態のことを指すのではないかと個人的には考えています。

人間はどうしても、自分だけが快適に、楽になりたいと思ってしまいますが、各個人が自然界全体の中でのよりよいバランスを保つことを自覚して、自分たちこそが、自分たちの暮らしている社会を作っていること、自然の中で生かされているということを感じられる場所を作っていかなくてはならないと思っています。

須賀:なるほど。

日本の建築は“ぶくぶく”と広がる

妹島:内から外に広がっていくのが、日本の建築なんです。縁側や庇(ひさし)、庭などがあって、外側の自然に対しても“ぶくぶく”と、自由に広がっていきます。扉を開けても、どこまでが内側で、どこまでが外側なのかという区別が曖昧ですよね。それに対してヨーロッパの建築は、決められた枠組みの中で、“ビシッ”と1つひとつの機能を規定して、作っていきます。日本の建築は“ぶくぶく”と外に手を伸ばしていきたがるからこそ、建築がどこかに入り込んだり、出てきたりと、インタラクティブに自然の中に入っていくので、形的にも柔らかくなるのが特徴なんだと思います。

ただ、学校で近代建築を勉強すると、ヨーロッパのやり方で“ビシッ”と作るやり方を学びます。もう一度、日本的とも言える、外側と混じり合うあり方、もう少し柔らかな形を考えてみることも、今はとても重要なんだと思います。

妹島和世(せじま・かずよ) 1956年茨城県生まれ。1981年日本女子大学大学院家政学研究科を修了。1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛とともにSANAAを設立。主な建築作品として、金沢21世紀美術館*(金沢市)、Rolexラーニングセンター*(ローザンヌ・スイス)、ルーヴル ・ランス*(ランス・フランス)などがある。2010年第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展の総合ディレクターを務める。日本建築学会賞*、ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞*、プリツカー賞*、芸術文化勲章オフィシエ、紫綬褒章などを受賞。現在、ミラノ工科大学教授、横浜国立大学大学院Y-GSA教授。*はSANAAとして(撮影:間部百合)
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