須賀:デジタルの空間においても、フィルターバブルというように、それぞれがコミュニティの内側に閉じこもって、他者やコミュニティの外側との関係を断つことで、空間全体が非常に内向きになり、さまざまな問題が浮上しています。いままさに妹島さんがおっしゃったような設計思想が、デジタル空間にも強く求められていると感じますが、グローバルにおいても、そういった妹島さんのお考えが評価されてきたポイントだとお考えになりますか?
妹島:そうですね。私がヨーロッパのコンペに呼ばれ始めた24〜25年ほど前は、空間の外と中が自然につながったほうがいいといった考え方はあまり理解されていなかったかもしれません。当時は、空間がつながっていく場所を作りたいと思い、「オープン」という言葉を使っていたのですが、その考えがあまりうまく伝わらず、「開く」という言葉をそのように翻訳した自分が間違っているのかな、と思っていました。10年ほどたつと、多くの人が「オープン」という言葉を使い始めまして、「ああ、そうか」と思いましたが(笑)。
須賀:そうなんですね(笑)。
妹島:最初にヨーロッパのコンペに呼ばれたときは、ヨーロッパのスタンダードな考え方とは違ったことを提示しそうなオプションの1つとして、自分が呼ばれたのだと思っていました。境界がなく、空間がつながっていくということはつまり、人間同士、もっと関係を持ちましょうよ、ということなのですが、いまでは、その考え方もごく一般的なものになったと感じます。
自分たちを「特殊化」することはできない
須賀:日本は、グローバルの最先端の文化やトレンドを自分たちの文脈で取り込んで新たなモノを作り出してきましたが、その過程で日本人は、日本型や日本版というフレーズを使って自分たちを特殊化したがるような傾向を感じます。一方で、本当に世の中を変えたい、グローバルなトレンドを変えたいと思ったときには、日本だけの特殊論にとどまっているだけでは不十分ですよね。
妹島:そうですね。これは逆のケースかもしれませんが、昔、「コム デ ギャルソン」を作り上げた日本人の川久保玲さんが発表された考え方やスタイルに刺激を受けて、次の世代のヨーロッパのデザイナーがそれを彼らの伝統の上に発展させたと感じられる動きに出会い、考えさせられました。つまり、何か支配的な1つの考え方やスタイルがあるというよりは、多様な文脈が折り重なっているというのが正しい言い方なのだと思います。何事もさまざまな文脈や関係性の上に成り立つものですから、自分たちを特殊化するというのはどうしたってできないことです。
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