もう言うことはないので、ここで終わりにしてもいいのですけれど、一言付け加えると、世間には「身の程知らずな欲望」さえ持っていない、持てない人が多くいるのです。身の程を知りすぎて、初めからあきらめ果て、いやあきらめることさえ忘れ、誰をも嫉妬せず、嫉妬する気力さえなく、ただ自分の殻に閉じこもって生きているだけの人、死ぬのを待っているだけの人がいるのです。
あるいは、この反対に、小学校以来のすべての知的競争において負けてきたにもかかわらず、「身の程知らず」とはさらさら思わずに、真剣に自分は東大に受かるはずだとか、大学教授になるはずだとか、司法試験に合格して弁護士になるはずだ、と思い込んでいる(そして何もしない)人も少なからずいるのです。
自分の欲望が「あなた」を作る
こうした人々に比べれば、あなたははるかに幸福で健全です。確かに「身の程知らず」ではありますが、嫉妬し、苦しみ、傷ついているのですから、謙虚でつつましい欲望とさえ言えましょう。だから、あなたはその「自分の欲望」を捨ててはならない。それが「あなた」だからです。それをとったら「あなた」ではなくなるからです。他人にはどんなにくだらなく見える欲望でも、それが本当に体の底から湧き上がり、かつ長きにわたってあなたを突き動かす要望であるなら、それを捨ててはなりません。それをごまかしてはなりません。そこにはある「真実」が隠されているでしょう。しかも、あなただけの……。
今回の参考文献としては、『非社交的社交性』(講談社現代新書)を挙げておきます。
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