違った価値観や将来に出会える
では、なぜとにかく早く海外へ出ることが奨励されるのか。理由はいくつかあるように思えるが、最も大きいのは「まったく異なる価値観に早い段階で出合う」、ということだろうか。それによって、自分の視野が広がり、将来への選択を含め、価値観が変容していくのである。
MBA留学を経験した清川さんは、スタンフォードの授業中、ほとんどの学生が手を上げているのに驚いたという。日本では、ほとんど見られない光景だろう。これはアメリカ的な気質でもあるだろうが、スタンフォード特有の起業家精神旺盛な特徴を示しているようにも感じられる。清川さんも、在学中、メガネのeコマースに関するビジネスを立ち上げた。
また、東大を卒業後、すぐに修士留学を経験した城代さんも、それまでとは異なる景色を見てみたくなって留学したそうだ。東大の機械工学科といえば世界トップクラスであり、海外へ留学するなんて、と周囲には反対されたらしい。しかし、よくも悪くもどのようなところかイメージがつかめてしまう東大の大学院より、自分の見たことのない価値観に触れられるようなスタンフォードで学んでみたかったという。
博士留学をした竹中さんは、もともとは霞が関の官僚で、省庁内留学を利用し、米国の博士課程へ留学。戻ったら省庁でそのスキルを生かすと思って飛び出した留学だったが、博士修了後、ほどなくして、研究の道へ。本人も、考えていなかった選択肢だった、と語っていたが、まさにさまざまな経験が詰まった留学期間だったことだろう。
音楽留学を経て、経済・ビジネスの道へ
ここで少し私の話をすると、私は大学3年に進級する前、1年間休学してパリに留学した。ソルボンヌに籍を置き、フランス語やフランス文化全般を勉強していたが、パリへ飛び込んだ理由は、もっぱら音楽を専門的に勉強したかったからだ。幼い頃から音楽を習っていて、高校からはバンドに熱中、CD製作やコンサートを頻繁に行い、ときに雑誌に取り上げられることもあった。
パリでは音楽学校の特別講義や、プライベートレッスンなどでも学び、生涯の宝とも呼べるすばらしいバンドメンバーにも出会えた(彼らは現在、音楽の世界でプロとして活躍している)。
本場パリで芸術を学ぼうと出かけていった私が、音楽をやめて、経済・ビジネス方面へ進もうと帰国したとき、両親を含め、周囲はだいぶ驚いた様子だった。事実、私自身も、そんな形で留学を終えるなんてまったく思いもしなかった。
きっかけはリーマンショックだ。アメリカでの、サブプライムローン問題に端を発するバブル崩壊の波は、瞬く間に世界を巡り、パリにもその傷跡を残した。金融とまったく関係ない芸術業界の人々の多くが、職を失った。国際経済の大きさと危うさ、さらには芸術さえも支配する資本主義を実感し、私は驚愕したのだ。そこで、経済をもっと知り、そのうえで芸術をよりよく理解していかなければならない、と感じた。
世界に対する視座をひっくり返された私は、経済・ビジネスへと方向転換した。現在、私はオーケストラの海外事業支援や、日本のミュージシャンの海外コンサートや日本の伝統工芸の海外展示会などの開催支援を副業として行っている。パリで感じた経済に対する意識の芽生えは、今こうして、私の人生の中で具体的に役立ってくれているのである。
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