「いい子」を演じ続けた結果、見失う生きる意味 自分を評価する誰かの感情を優先する癖に注意

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この地球に誕生して以来、人間はつねに生存の危機と共にありました。戦争、飢餓、病気、差別など、その生命をまっとうできない危険性がある環境においては、動物的な生存本能が発揮されやすく、生きることそのものが目的たりえました。

しかし、社会が豊かになり、命の危険がないことが当たり前になってくると、「生きること」それ自体の意味を見つけることは難しくなります。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、「人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる」と主張しました。

社会が豊かということは、人が人生を賭して埋めるべき大きな「穴」がない状態です。例えば「国家」とか「社会」とか、これをよりよくすることに自分の人生を捧げようと思えるような「大義」が見つかりにくくなるのです。そうなると、自らが生きるモチベーションは自分で見つけるしかありません。

そこで必要になるのが「自分の物語化」です。自分の物語化とは、これまでの人生で連綿と起こってきた出来事に対して、自分なりの解釈をつけていくことです。例えば、大切な人と死別し、悲しみでやりきれなくなってしまったとしても、「この喪失の経験から得たものを、誰かほかの人の役に立てよう」と思うことができれば、人は、また前に進むことができます。

起こった出来事に対して、主観的に自分が納得できるような意味付けをしていくことで、挫折から前向きに立ち直ったり、成功体験を自信に変えたりすることができるわけです。

「人は、自分の物語にすがりついて生きている」

これは、臨床心理学者の高垣忠一郎先生の言葉です。すがりつくべき物語がなければ、人は生きていくことができません。たとえ、それが不幸の物語であったとしても、その人が生きていくためには必要なのです。

「いい子」を演じ続けふたをする自分の感情

冒頭に紹介した方のように、誰に対しても優しく品行方正な「いい子」であろうとする人は少なくありません。そしてそのような人は、子どものときに、自分本来の感情を素直に表現したり、その感情を受容されたりした経験に乏しいという共通点があります。

自分よりも、自分を評価する「誰か」(多くの場合は親)の感情を優先する癖がついていて、その誰かの感情を先回りして感じ、その人にとってのベストな反応を得られるような感情だけを選び取り、自分が本当に感じていた感情は心の奥底に封印してしまっているのです。

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