しかし、これらの3つの説明は、論理的には正しいが、株式市場と実体経済の乖離をもたらす影響力としては、実は非常に小さい。もっと根本的で、すべてを押し流してしまうほどの強力な理由があるのだ。
それは、前述のとおり、株式市場と実体経済には別の生き物が住んでいて、それぞれの生き物はそれぞれの論理と思惑で行動するから、その結果としてのマクロ的な実体経済市場、株式市場全体はまったく異なった様相を呈するのである。
景気が良くなることと経済成長は「別物」
どういうことか、説明しよう。実体経済市場は何によって動かされるか。支出である。人々や企業、そして政府などが支出をする。その支出の合計がGDPでありマクロ経済活動である。実際に支出された額の合計である。
したがって、人々の日々の経済活動の結果が集約されているのである。これについては、多くの人が理解している通りだが、2つ注意点がある。
第一に、短期的に消費が増えれば景気は良くなるが、景気は良くなれば必ず悪くなる。経済成長とは別物である。
第二に、好循環という言葉が多用されすぎている。経済はいったん回り始めれば自然と回り続けてそれが経済成長となると誤解されている。だが、それはまったくの誤りで、好循環と経済成長とは無関係で、消費を増やしお金をぐるぐる回せば、景気が良くなり、成長するのではない。短期的には景気は良くなるが、逆に投資にまわすお金はなくなり、長期的な成長性は失われ、むしろ経済成長率は低くなる。
高度成長期の「投資が投資を呼ぶ」という好循環と、消費刺激により経済をまわす、と人々(特に政治家)が考えていることはまったくの別物だ。もともと資本が不足しており、実物へ投資したくても金がなくて投資ができないときは、資金が供給されて設備投資が増えれば、生産が増えて、利益も増える。それにより、さらなる設備投資が可能になり、さらに生産力が上がる、という循環である。
これは、もともと需要はあるのに、資本不足で投資不足になっている場合のことである。現在のように、資本が余りまくっていて、よい実物投資機会があれば、いくらでも資金を融資したいと銀行が思っているような状況ではまったく当てはまらない。
無駄な投資を行って生産しても、それは売れず赤字が膨らむばかりだろう。あるいは、どこかの企業のように、社運をかけた投資をしても、世界的な競争には勝てる保証は全くなく、危機に陥るだけである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら