東京五輪、競技はできるが観客は感染状況次第 新型コロナ対策分科会の岡部信彦氏に聞く

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――専門家会議から新型コロナウイルス感染症対策分科会・アドバイザリーボードメンバーなどとしてこの間、ずっと対策に関わってこられましたが、これほど意見の割れる問題もないのではないでしょうか。

私は医療側なので、新型コロナの重症者が1人でも少なくなること、病気に対する多くの人の不安が収まっていくことが最大の目的だ。だが、事が大きくなってくると、経済活動・社会生活への影響など、医学的処方箋だけでは解決がつかず、他の手段とそのバランスが必要になってくる。誹謗中傷など人権問題にも対処しないといけない。いろいろの人の理解、協力、「よい塩梅(あんばい)」を探ることが大切だが、議論は幅があって当然であり、ある程度意見が割れるのは仕方がない。

医学を超えて、政治問題、国際問題になると厄介だが、感染症が広がるとそうなりやすい。あっちの国が悪いとか、WHO(世界保健機関)から脱退したらどうか、なんて言い出す人もでてくる。そんなこと言っている場合ではないと思うのだが……。

五輪の選手は管理が可能、少なくとも競技はできる

――そこで、焦点は五輪が本当にできるのか、という問題です。

僕は「オリンピックのために感染対策をやっているわけではなくて、感染対策の結果やれるかどうかだ」と最初から言っていた。オリンピック・パラリンピックの調整会議のアドバイザーに指名されたときに、「こういう考え方でいいですか」と確認したのは、「オリンピックの根本は技を競い合う、つまり『競技をやる』こと。まずそれが目標であり、そこから状況によって膨らんでいくことを考える、ということでいいですか?」ということ。それなら最低できるかもしれない。つまり、感染状況によっては「競技だけをやる」「無観客もありうる」ということだ。

選手は何週間もこもって事前練習をし、ホテルと練習会場あるいは競技会場の往復だけだ。遊びに来るわけではなく、厳しい自己管理ができる人たちだ。観客をどこまで入れるかは、感染の状況によって考える。ただ、契約などお金の問題、経済・政治の問題になってくるのは避けられない。やめちゃうという選択肢もあるけれども、政府は「やる」と決めた、ということでしょう。

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