天皇家が継いできた「歌会始」に映る皇族の心中 雅子皇后の歌の変遷にお悩みと回復が見える
『明治天皇はシャンパンがお好き 近現代日本 歴史の横顔』(文春新書)の著者、浅見雅男氏は、近代日本の華族たちに関する研究の第一人者。
本書は、これまで積み上げてきた数々の実績に基づき、各分野で名を遺す偉人たちの知られざるエピソードをまとめたものだ。
取り上げられている人物は、天皇、皇族、文士、学者、実業家、政治家、ジャーナリスト、スポーツマン、芸能人など多岐にわたる。つまりその大半が、いわゆる著名人、有名人と呼ばれる立場にある。
言ってみれば、一般的に知られているような聖人君子たる側面ではなく、あまり知られることのない、どちらかと言えば人間くさい側面に焦点を当てているということだ。
今回は「歌会始あれこれ」に焦点を当ててみたい。
17年ぶりの雅子皇后出席
現在も毎年正月に宮中で行われている「歌会始」が始まったのは、15世紀のこと。そして天王崩御による 諒闇(喪)中などを除き、明治天皇即位直後の明治2(1869)年正月から毎年開かれるようになったそうだ。
そして以後、数年間は天皇と皇后をはじめとする皇族や高官、高位の元公家らだけが、毎年の「御題」によって歌を寄せた。だがそののち、次第に一般の国民からの詠進も認められるようになり、たとえば明治7年には、4139もの歌が宮内庁に届いたという。
その点について浅見氏は「宮中の『民主化』は歌からはじまっていたというべきか」と記しているが、たしかにやや意外な話ではある。
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