天皇家が継いできた「歌会始」に映る皇族の心中 雅子皇后の歌の変遷にお悩みと回復が見える
愛子内親王が生まれたばかりの平成14(2002)年には、
君と迎ふる春すがすがし(74ページより)
と、幸せな歌が続く。ところが平成16(2004)年の歌会始には歌は詠進したものの姿は見せず、以後も皇太子妃は平成31(2019)年まで、毎年詠進はしたものの欠席を続ける。
宮内庁がその理由について「静養中のため」と説明していたのは記憶に新しいところだ。
なごみ歩めば心癒えゆく
(75ページより)
たしかに平成17(2005)年に詠進された上記の歌からは、痛々しい精神面が伝わってくるようにも思える。
「公人」たらざるえないことへの悩みが映る
また平成25(2013)年の
立待ち月はあかるく照りたり
(75ページより)
に代表されるように、静養中の歌には愛子内親王を詠んだものが多いそうだ。
今も昔も、皇族には「公人」たらざるをえないことへの悩みを持つ人がいると言われる。皇太子妃のこうした歌からも、そうした気持ちを伺うことができるかもしれない。
いずれにしても、令和2(2020)年1月16日に宮中で行われた歌会始に雅子皇后は出席できたのである。また、やはり宮中新年恒例の行事である講書始にも平成30(2018)年に15年ぶりで出席しているため、体調はもはや問題ではなくなったのだろう。
もしかしたら今年の歌会始は、コロナ禍の影響を受けることになるのかもしれない。だが、歌会始のように雅な伝統を受け継ぐことも天皇夫妻の重要な責務であるだけに、雅子皇后の回復は喜ばしいことだといえよう。
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