仲良し夫婦が「相手にイラついた時」にすること 夫婦の衝突を救う「優しさのあめ玉」という存在
怒りの熱量を保ったまま、思わず勢い任せの強い言葉をぶちまけそうになるのだが、そんなことをしようものなら、言われたほうは「あーもう! わかったわかった! そんな言い方しなくてもいいじゃん!」と素直に受け取れないだろう。
丸まったままの靴下を脱ぎ捨てないでほしいという話が、「そんな言い方しなくても」「そんな言い方させるようなことをするほうが悪い」と、いつの間にか問題がすり替わってしまう。
それが続けば、次第にギスギスし始め、今まで気にならなかったことまでもが目につくようになり、溝を埋めきれなくなった結果、最悪の場合は離婚……なんてことにならないとは言い切れない。
そんなの、嫌。
架空の糖分が脳に回り・・・
だから、わたしはいつもポケットに〝やさしさの飴玉〟を忍ばせている。丸まったままカゴに入れられた靴下を見つけ、「またかよ!」とカッとなりそうなとき、目には見えないやさしさの飴玉を口に放り込むおまじないをする。すると、口の中に甘さがふわっと広がったように感じ、なんとなく肩の力が抜けるのだ。
(いや、でもなぁ。わたしも服とか脱ぎっぱなしでそこらへんに放置することもあるしなぁ。それを見て、夫がケンケン言ったことは一度もないよなぁ)
架空の糖分が脳に回り、見失いかけていた相手のやさしさが心に浸透していく。
(なんだったら片づけておいてくれたりもするんだよな。一緒に生活をしてたらお互い様の部分ってあるよね。一緒に暮らすって、きっとそういうことだよね)
わたしたちの結婚生活は、思いやりの応酬で成り立っていたことが思い出される。
(っていうか、靴下一つで怒り狂う必要ってあるのか……? せっかく結婚したんだから、できる限りハッピーなほうがよくない……?)
甘さが体中に染み渡り、熱を帯びていた頭が冷めれば「ねぇねぇ、次からは靴下を直してからカゴに入れてくれるとうれしいな」とやさしく伝えられるようになる。
やさしさの飴玉は、目には見えない、不思議な飴玉。いつもポケットに忍ばせておくのが吉。 効能は、相手のやさしさを思い出すことで、自分もやさしくなれる……気がする。
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