「まだ154キロ出る」26歳元広島投手、悲壮な挑戦 大谷・藤波世代の辻空が語る断固とした決意
ケガさえなければ――。このときも、辻の頭にはその思いがよぎった。振り返れば、プロ入り後の辻は、こんなことの繰り返しだった。幾度となくケガに泣かされてきた。
2012年育成ドラフト1位で広島に入団。2015年オフには支配下契約を勝ち取った。2018年春には1軍の日南キャンプにも招集されるなど、やがてセ・リーグ3連覇を果たす常勝軍団の中で、戦力として期待されていたことがうかがえる。
しかし、「これから」というタイミングでのケガによる離脱が目立った。足首、肩、肘、膝、肋骨骨折――。プロ野球の世界では、実力だけでなく、シーズンを通して戦える強靭な体が求められる。結局、辻は一度も1軍に上がることができないまま、2018年オフに戦力外通告を受けた。
プロでの6年間を一旦リセットし、再起を誓って臨んだトライアウトは2018年、2019年ともに、持ち味を出したにもかかわらず、オファーはゼロ。くしくも同年に改定された参加規程「同一選手による参加は上限2回」に阻まれる格好となり、辻は手持ちのカードを使い切った。
トライアウトを受けられないとなると、独立リーグでアピールするしか、NPB復帰の可能性はない。針の穴を通すような難しさではあるが、「まだ150キロを超えるストレートを投げ込める」自信を頼りに、辻は2020年シーズンを「野球人生のラストイヤー」に位置づけ現役続行を決めた。
コロナ禍で開幕が延期、母のがんも発覚
そんな辻の決意をあざ笑うかのように、ラストイヤーを新型コロナウイルスが直撃した。独立リーグも開幕延期が決まり、1試合、また1試合と、アピールの場が減ってゆく。
さらに、4月には最愛の母が乳がんのステージ2と診断された。連絡を受けた辻は、すぐにでも母のもとに駆けつけたかったが、新型コロナウイルスの影響で移動の自粛が求められていたこともあり、毎日メッセージのやりとりをするだけにとどめた。
ウイルス、がん、と自分の力ではどうすることもできない病気に向き合うことを余儀なくされた辻は、ある思いを抱くようになる。
「自分が頑張っている姿を母に見せて、元気になってほしい」
辻の魂によりいっそう火がついた。シーズンが開幕すると、最速154キロのストレートを武器に快投を続けた。一方、NPBに目を向けると、6連戦が続く過密日程の影響もあり、例年以上に選手のケガやコンディション不良が目立っていた。多くの球団がトレードや育成選手の支配下登録を駆使して、異例のシーズンを戦い抜くための補強を繰り広げている最中だった。辻がシーズン中にNPB復帰を果たす可能性も十分にありうる。
広がりかけていた極小の針の穴が完全に塞がれたのは、その矢先のことだった。先述の大円筋断裂、全治2カ月……。
「野球人生のラストイヤー」と決めていた。全治2カ月ではシーズン中の復帰は不可能で、投げられなければアピールもできない。そこから導き出される答えはあきらめしかない、多くの人がそうだろう。
しかし、辻本人だけは違った。心の奥にまだ揺れ動くものがあった。それは、闘病中の母に対する思いだった。女手一つで育ててくれた母は、大の野球好き。プロ野球選手、いや、1軍の舞台で活躍するという夢は、辻だけでなく母の夢でもあった。その母に、まだ1軍で投げている姿を見せてあげられていない。