白血病のJリーガー「病名公表」するまでの苦悩 酒井高徳選手が見舞い、南野選手も心配のメール

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これを受けて、僕は両親と公式リリースについて話し合った。当初、母は「公表しなくていいんじゃないか」と否定的だった。恐らく病気を公表して話題になることで、さらにつらい思いをするのではないかと、僕を守ろうとしてくれたのだと思う。

もちろん、僕も公表することで、僕自身は病室で守られているから大丈夫だが、普通に生活をしている家族は、周りからの目など負担があるのではないかと考えたりもした。でも、栗原さんはこう話してくれた。

「公表することでクラブとして公にバックアップできるようになる」

それも重要なことだと理解していた。

人を励ます存在になりたい

このとき、僕はふと塚本泰史さんの存在を思い出した。塚本さんといえば、大宮アルディージャのレギュラーだったにもかかわらず、2010年2月に右大腿骨骨肉腫が発覚した選手だ。

現役復帰はかなわなかったものの、今ではアルディージャのアンバサダーを務め、2012年には東京マラソンを完走するなど、僕の先を力強く歩いている人だ。彼のことをすぐにネットで調べると、塚本さんが発する言葉や姿勢に大きな衝撃を受けた。

塚本さんはプロサッカー選手という立場を病魔によって奪われたにもかかわらず、ずっとサッカーに携わり、大宮アルディージャというクラブを支えながら、子どもたちにサッカーの楽しさを伝えるという活動をしている。

「なんて強い人なんだ……」

塚本さんはプロ復帰に向けて全力を尽くしていたし、サッカーを愛して、いろんなチャレンジをしながら、今を生きている。その姿に多くの人たちが感動し、励みにしている。現に僕自身が塚本さんの存在を励みにしようとしている。

僕もそういう人を励ます存在になりたい。そうなるためには、この病気と闘っていくしかない。

「母さん、俺、世間に公表するよ。そうすることで自分が病気と闘う姿を見せて、塚本さんのように人を励ます存在になりたいんだ」

僕の真剣な表情に母も覚悟を決めてくれた。

「わかったわ、史哉。母さんたちも一緒に闘うね」

『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』(徳間書店、書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

その翌日、僕は早速プレスリリース用の文章を考えた。文章を書くことは昔から苦手ではないし、何より自分の覚悟を自分の言葉で綴ることに意義があると思った。じっくりと考えながら、書き直しを重ねるなかで、「華やかじゃないけど、地道にコツコツと」という部分は、自分の今までの人生やサッカー人生を振り返ったときに自然と出てきた言葉だった。

僕のサッカー人生は、決して華やかではない。でも、その節目、節目で真剣に自分の将来を考えて、自分で選択をして歩んできた人生だった。

華やかじゃないけど、地道にコツコツと──。

早川 史哉 プロサッカー選手

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はやかわ ふみや / Fumiya Hayakawa

1994年1月12日、新潟市生まれ。アルビレックス新潟のアカデミー組織の出身。2011年のFIFA U-17ワールドカップで3得点を挙げる活躍をみせた。2012年に筑波大学に進学して蹴球部に入部。2016年シーズンにアルビレックス新潟へ加入。2016年2月27日のJ1開幕節・湘南戦に先発フル出場デビュー。しかし、同年4月24日の名古屋戦後にリンパ節の腫れを訴え、病院で検査を受けた結果、急性白血病と診断される。2017年から治療に専念するため選手契約をいったん凍結。同年7月に病院を退院すると復帰に向けたリハビリを開始。2018年11月12日に契約凍結が解除されて、2019年10月5日には、鹿児島戦にフル出場。1287日ぶりに公式戦のピッチでプレーした。

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