白血病のJリーガー「病名公表」するまでの苦悩 酒井高徳選手が見舞い、南野選手も心配のメール
入院して数日後に神田勝夫・強化部長から「今後のことについて話がしたいから、お見舞いも含めて病室に行きます」と電話を受けた。
「いよいよこのときが来たか……」
電話を切ったあと、この病気になったことで、クラブとの契約が終わってしまうのではないかという不安が、一気に僕を包んだ。
正直、病状が出て、正式に白血病と決まってからも、プロサッカー選手としての契約の問題は非常にナーバスなもので、自分も目を背けていた部分があった。
当然、何かしらの決断を下さないといけない。僕はプロサッカー選手であることが終わることも覚悟しながら、神田さんが到着するのを待った。
一生忘れない言葉
面会当日。僕は朝から落ち着かなかった。どんな結論も受け止めるつもりでいたが、不安ばかりがどんどん膨れ上がっていった。
「早川さーん、面会です」
看護師さんがこう言いながら部屋に入ってきた。僕の緊張はピークに達した。
神田さんが僕の前に座り、僕も椅子に座って向き合った。そして、神田さんの口から出てきたのは、一生忘れないであろう言葉だった。
「史哉がどう思っているかわからないけど、史哉に現役を続ける意志があるのであれば、クラブとして、復帰までしっかりとサポートしたいと思っている」
うれしくて、気がついたら涙がこぼれていた。
「まだ自分をアルビレックスの選手として居させてくれる。まだ、サッカーができるチャンスがあるんだ……。プロサッカー選手としてまだやれるんだ……」
張り詰めていた空気が切れた。希望は消えていなかった。僕の心にさらなる勇気が湧き上がった。
神田さんとの面談のあと、高校時代の恩師であり、アルビレックス新潟のトップチームのコーチの片渕浩一郎さんから電話が入った。
「史哉、一緒にご飯でも食べに行かないか」
片渕さんはいつも僕のことを考えてくれた。僕の気持ちを推し量ったかのように、話がしたいタイミングで声をかけてくれる。
「はい、ぜひ行きたいです」
そう答えると、翌日、僕は病院に外出届を出した。治療に挑む覚悟は決めていたが、いざ治療が始まれば、落ち着くまではしばらく外にも出られないと思うと、急に寂しい気持ちが襲ってきた。最後に少しでもいいから外出をしたい。その気持ちを病院側も汲んでくれた。
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