森永流、仕事の哲学
――仕事に関する哲学や考え方、気をつけていることなどを教えていただけますか。
何かを徹底的にやり、ねばる。
――“ねばる”ですか。
あきらめない。「どこまで突き詰めて行くか」ということに関して、いけるところまでねばるところがありますね。歪んだマネキンのコレクション(※1)にしても、ボタンまでもギューって伸ばされているし、ワッペンもギューって伸ばされているし。ただ、そのビジュアルの伸び縮みだけではなくて、まさかそこまでやっているの、という馬鹿らしいところにけっこう本気になっちゃうところがありますね。
――徹底してそのイメージに近づける?
自分が感動するポイントはどこだろうって思ったときに、僕は、けっこうそういうところで感動するのです。「ここまでやってるんだ」とか、「ここまでやるのはばかでしょ」とかいうところに、真実があると思っちゃうんですよね。
――そこまでやれば、何かが見えてくると。
くると、信じている。アンリアレイジは、ショーも派手ですし、けっこう、すごく大きなことをやっているブランドに思われるのですけど。でも、やっぱり人が着るというのは、すごく近いところで見るものだし、ショーとか画像で見るのと、自分が着たいと思うものは違うところにあるので、着たときにまた何か発見があったり、そういう服がその人の中できっと残るのですよね。
――いくらすごいことをしていても、近い距離で着るものというスタンスを忘れないのですね。
見せるだけの服だったら、いろいろできますよ。
これも(球体の服)、立体から剥がし、人が着用するときの形を追求するのです。球体の服だけを追求したら、どんな形でもできるのです。それが、人の身体に通して新しいフォルムになるかどうか、というのを計算して作らないといけないので、そこが、洋服の面白いところなのですよね。
やっぱり、洋服は、すごい制約があるので、そのガチガチの枠の中でもがいている感じというのが、好きなのです。だから、もっとポーンとアウトサイドに外れちゃうこともできると思うのですが、でも、何かそこを超えられないみたいな。
――あえて、そこでもがくという(笑)。さて、ここで、これからファッションを目指す若い人たちに向けてコメントをいただけますか?
これは、特にファッションの世界でだと思うのですが、ファッションは、人と違うことに価値があるんですよ。自分が着るものも、産業の成り立ち自体も。そういう産業は珍しいな、と思っています。
たとえば、成果とか、ひとつの枠の中で競えるものってけっこうあると思うのです。いちばんいいのは、スポーツとかもそうですけど、うまい下手があります。でも、洋服のそのいい悪いっていうのは、判断基準が出来上がっていない状態だと思っていて、価格なのか、素材なのか、いい素材悪い素材というのも難しい判断です。でも、その判断基準にない、全然、違うものを立ててしまえば、それがビジネスになる構造を持っているものだと思っていて、外れれば外れるほど、違えば違うほど、価値が生める世界だと思うのです。
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