渡部建の謝罪会見が結果的に「成功」と言える訳 記者に批判殺到、遅きに失したが小さな一歩に
私はこれまで5000人を超える著名人へのインタビュー経験があるほか、聞き方に関する本も出版するなど研究とノウハウの確立を進めてきました。聞き方という観点でこの会見を見ると、芸能記者たちの質問は表面上をつつくようなものが多く、心の動きを深く突いていくような流れを作り出せていなかったのです。
「ランダムに質問が飛ぶ囲み会見だから、掘り下げる流れを作りにくい」という点はあったとしても、同じことばかり聞いたり、進んだと思ったら戻ったり、本音を引き出すより失言を誘おうとしたりなど、視聴者にとっては見づらい会見になっていました。
その点では、芸能記者にはベテランが多いせいか、「日本中の人々がネットで生配信を見ている」という意識が低いのかもしれません。「見てもらっている」「自分も出演者の1人」という意識が低いから見やすさを考えず、「芸能記者同士で連携を取って掘り下げよう」という姿勢も見られませんでした。
また、この日は囲み会見ということもあり、芸能記者たちは社名、番組名、個人名を名乗らず、顔もほとんど見せなかったことで「卑怯」という印象を与えてしまいました。「最後に言いたいことは?」と締めの言葉をうながして言わせたあとで、「再び質問を畳みかけて動揺させたところを突こう」という芸能記者の常とう手段も含め、第三者から見たらアンフェアな会見だったのです。
案の定、ネット上には「記者側にもカメラをつけろ」「名乗るのは最低条件にしてほしい」「しつこい男のリポーター、ぶん殴ってやりたかったわ」などの声が挙がっていました。ツールが進化し、視聴人数が飛躍的に増えているだけに、芸能記者たちもそれに対応すべく進化が必要ではないでしょうか。
記者の「密」がコロナ禍のミスリードに
芸能記者に関してもう1つふれておかなければならないのは、世間の人々がコロナ禍に苦しむ現状にふさわしくない対応に見えたこと。
リポーターたちの距離感は近く、体が重なるシーンが何度も見られました。いくつかの感染対策が見られたとは言え、視聴者に「密集」「密接」のイメージを与えたのは間違いなく、カメラマンたちも超至近距離から折り重なるように渡部さんを撮影する異様な光景。実際に飛沫を浴びているかはわかりませんが、ソーシャル・ディスタンスではないことは明らかであり、これを全国の人々に見せればコロナ禍のミスリードになってしまうでしょう。
もし渡部さん側からこの形での会見を提案されたとしても、許可を出されていたとしても、ネットで生配信し、翌日の情報番組で大々的に扱う以上、もっとコロナ禍に配慮した対応をすべきだったのではないでしょうか。
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