ミステリで「怪しい人物」が犯人ではない根拠 読者が読み慣れると当たってしまうことも
もう随分と前の話になるが、単行本の部署に異動してすぐ、密室をテーマにしたアンソロジーを担当する機会があった。初めて担当するミステリだったから、それはもう張り切って内容紹介やオビのコピーを考えたのだが、その中で「意外な犯人」というフレーズを使ったら、上司に「なんだこのコピーは!」と怒られた。
曰く、「ミステリなんだから、犯人が意外なのは当たり前だ。そんな当たり前のことじゃなく、もっと別のことを書け」
なるほどなあ、と思った。そうなのだ。あからさまに怪しい人物が犯人だったら、ミステリは面白くも何ともない。一見そう思えない人、悪事から遠そうな人が犯人だから面白いのだ。
ミステリ上級者なら当たってしまうことも
だが、それで綺麗に騙されてくれるのは、ミステリを読み始めの初心者か、犯人を当ててやろうとは露ほども思わない有り難い読者くらい。多少なりとも読みつけてくれば、「こんなに怪しげに書いてあるってことは、おそらく犯人じゃないな」と裏を読んでくる。場合によっては、「一番犯人っぽくないから、こいつが犯人かな」と、妙な当たりを付けてくるかもしれない。そしてその予想は、結構当たってしまったりもする。
大事なのは、そこに到る手掛かりや推理の過程であって、当てずっぽうで名前だけ当てられたところで、こちらは痛くも痒くもないのだけれど、でもやはり、ちょっとは悔しい。いや、寂しい、が近いかもしれない。
「犯人を当てる」だけがミステリの楽しみではない、と思って作家は小説を書いているだろうし、編集者もそう思って本を作っている。とはいえ、ミステリを読むモチベーションとして、「誰が犯人なのか?」は、とても大きなものだ。
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