ミステリで「怪しい人物」が犯人ではない根拠 読者が読み慣れると当たってしまうことも

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とはいえ、こういう消える魔球のような作品は、そうそう出現するものではない。

このフーダニットの制約を、正攻法で突破しようという試みも、もちろんなされてきた。犯人は大抵の場合、A、B、C……という容疑者の中から指名される。それがZまで広がって、候補が26人に増えたところで、限られたリストから犯人が選ばれることに変わりはない。その意味で、真の意外性は打ち出せない。

ところが、ここで真犯人としてα(アルファ)なる人物が指名されたらどうだろう。読者のみならず、登場人物も驚くに違いないが、同時に、「誰だそれは!」「卑怯じゃないか!」となるに決まっている。

だが、最終的には、

「ご紹介しましょう。Aことαさんです」

と、唐突に現れた未知の人物αは、実はAと同一人物だった、という決着をみる。こうして、当初の人物配置をそのまま維持しつつ、容疑者リストの外から犯人を引っ張って来る、という妙技が成立する。

さらに、「バールストン・ギャンビット」なる方法もあり、これは「犯人を被害者にして、容疑者リストから一旦退場させる」ことを意味する。

どうしてそうなのか、が重要視される

ギャンビットとはチェス用語で、駒を取られる代わりに盤面を有利に導くこと。つまり「損して得取れ」という戦術である。もちろん、実際には死んでいないから、行方不明にして死んだと思わせるとか、凄惨な事件現場にして誰も近寄れないし、近寄りたがらないようにするとか、検視が行える人物と結託するとか、様々に策を弄して「死んだふり」をする。

作中人物も読者も、死者は容疑者リストから外すので、その隙を突くのである。だがそれでもやはり、究極的には、登場人物一覧の中にしか、犯人は存在しない。

こうして、ミステリはフーダニットの次の展開を模索し、徐々に「どうしてそんなことになったのか?」「どうやったらそんなことができるのか?」という、「ハウダニット」Howdunit(How done it)も重視されるようになってくる。

「犯人はどうやって密室を作ったのか?」「犯人はどうやってこの距離を一瞬で移動したのか?」「どうしたら、死んだはずの人間が殺人を行えるのか?」等々である。

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