明石家さんま、高校で突然人気者になったワケ 素人なのに「好きな芸能人」にもランクイン

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さんま「俺が捕まえられた瞬間、新聞部がシャッター押しとったのよ。偶然撮っとったの。このとき、『かんにんしてぇ』って言うてんねん(笑)。全校生徒がいてて、父兄がいてて、PTAの偉いさんがいててやで、あんな笑わしたのになぁ~、運動会中断して怒られてん。どうも運動会はなぁ、笑いはいらんみたい。

クラス対抗リレーで、グラウンドに封筒置いといて、ひとりだけ借り物ゲームのフリしたりな。『え~っと、女の人の靴やな』とか言うて。それは怒るわな(笑)」(フジテレビ『さんま・中居の今夜も眠れない』2007年7月28日)

「心の優しい子やったんですよ」

乾井實「とにかく、いまも昔も変わりませんね。テレビを見とっても、お客を楽しませるために一生懸命ですよねえ。高校時代もそうでした。毎日、1回、人を笑わせるのを生きがいにしとったような男ですよ。『ぼくは人を泣かすのはいやや。人を笑わせたい。人が楽しそうに笑ってるのを見るのが好きなんですわ』いつもそんなふうにいうてました。心の優しい子やったんですよ。

ただねえ、その人を笑わせるのが少々、度がすぎることがありましてね。(中略)私、一度、彼を殴ったことがあるんですよ。

3年生の体育祭のときでした。(中略)杉本は最終ランナーだったんですよ。第1、第2、第3走者が全力で走り、最終ランナーにバトンが渡されました。ところが、来賓席の前あたりで、最終ランナーが全員、歩きだしたんです。どうやら全員がしめしあわせて、会場を笑わせようとしたらしいんですが、私、仕掛け人は杉本やとピ~ンときましてね。

それで殴りつけたんですが、あの子のええところは反抗したりせずに、素直に『すんません!』って謝るとこなんですよ。『ちょっとやりすぎました。すんません!』って。そういう性格やから、杉本のまわりにはいつも友だちがいっぱいおりましたね。人をひきつけるもんをもった子どもでしたよ」(『女性セブン』1985年5月23日号)

『明石家さんまヒストリー1 1955~1981 「明石家さんま」の誕生』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

さんま「先生には散々怒られましたから。運動会でねぇ、先生、覚えてらっしゃいますか? 僕たちを死ぬほど怒ったことは?」

乾井「絶対忘れません! 運動会では最後にクラブ対抗リレーというのがあるんですね。そのときに、杉本君は最終ランナーでですねぇ、みんな一生懸命走ってくるのに、みんなを止めて、そして、みんな横一列になってですねぇ、歩きながらゴールをしようとしたんです。私が、若気の至りですね、杉本君の手を持ってですねぇ、殴ったと、そういう事実があるんですよ」

さんま「先生が拡声器で、『杉本! ボケ! アホ! カス~!』言うて、PTAの偉い人もいてんのにやなぁ、『運動会中止じゃー! ピー!』とかいうて。それでシーンとなって、正座させられたんですよ」

乾井「この頭が光ってんのもね、杉本君がだいぶ毛を抜いてるんやで」

さんま「(笑)すいません。心配かけて抜かしたかわかりません。ほんとに申し訳ないですよ」

乾井「(笑)」(『春の豪華版!さんまのからくりTV』2007年3月25日)

エムカク 明石家さんま研究家・ライター

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えむかく

1973年生まれ、大阪府在住。1996年より「明石家さんま研究」を開始。以降、ラジオやテレビ、雑誌などでの明石家さんまの発言をすべて記録し始める。その活動が、水道橋博士の目にとまり、2013年9月10日より「水道橋博士の『メルマ旬報』」で連載「明石家さんまヒストリー」をスタート。日本テレビ「誰も知らない明石家さんま」など、テレビ特番のリサーチャーも務める。『明石家さんまヒストリー1 1955~1981 「明石家さんま」の誕生』がデビュー作。Twitter:@m_kac/YouTubeチャンネル:エムカクノート

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