明石家さんま、高校で突然人気者になったワケ 素人なのに「好きな芸能人」にもランクイン

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吉田とは、高文が中学3年生のときに相撲大会の決勝戦で熱戦を繰り広げた吉田のことだった。その後、吉田は奈良県の総番長となり、他府県にもその名をとどろかせるほどの存在となっていた。

高文と吉田は高校生になってからも何度か町で顔を合わせたことがあり、吉田は高文と会うたびに、そこにいた仲間たちに「こいつはめちゃくちゃケンカ強いからなぁ、お前ら手ぇ出すなよ。簡単にいかれるぞぉ」と、冗談っぽく話していたのだ。

「自分かいなぁ、やーちゃんと相撲とってええ勝負したいうんは。ワシ、やーちゃんのツレやねん。やーちゃんから自分のことよう聞いてるわ。いやな、うちの後輩が奈良商の奴ともめたいうから、奈良に来たついでにちょっと寄ってみたんや。まあ、ほんなら帰るわ。やーちゃんによろしくな」 

そう言い残し、男たちは去って行った。

高文の心臓はバクバクと音を立て、足はガクガクと震えていた。「ふぅ~、なんや知らんけど助かったぁ」と胸をなでおろし、高文が振り返った瞬間、校門付近にいた生徒や、校舎から見ていた生徒たちから一斉に拍手が湧き起こった。高文は照れ笑いを浮かべながら、両手を上げ、拍手に応えた。

なぜか「好きな男性芸能人」第7位に

この一件の直後、奈良商新聞部が全校生徒を対象にしたアンケート調査を行ったところ、「好きな男性芸能人」部門で、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎といった超人気アイドルが名を連ねる中、高文は7位にランクインされた。それほど、奈良商では絶大な人気を誇っていた。

さんま「ぼくの人気の要因は『笑い』と『わるさ』、これやなかったかと思ってます。それで男からも女からも人気があったんやないかと」(明石家さんま『こんな男でよかったら』ニッポン放送出版、1984年)

伏見敦「クラスの人気者でした。(中略)授業中、よく私の言葉尻をとらえてはジョークをいうことがありました」(「週刊平凡」1986年3月7日号)

さんま「高校時代は学校中の人気者でした。ほかの高校の女生徒がわざわざ、ぼくの顔を見にくるぐらいの人気者だったんですよ。めだちたがり屋やったんです、ぼく。自分のサイン、1枚50円で売ったんですわ。買うてくれる女の子が何人かいましたからね」(「プチセブン」1988年6月1日号)

高文の高校時代の天敵、教師・乾井實との最後の決戦の場は、奈良商の運動会だった。厳しい指導で全校生徒からおそれられていた乾井。頑丈な体格を誇り、その顔立ちには厳格さがにじみ出ており、あまりにイタズラが過ぎたときには容赦なく鉄拳制裁を加えた。

人を笑わせるためなら、他人の迷惑などお構いなしにイタズラを働く高文にとって、乾井は最も厄介な存在だった。乾井もまた、何度注意をしてもこりない高文には手を焼いていた。

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