今こそ食べたい「汁かけ飯」知られざる黄金律 意外と奥が深い汁かけ飯のおいしい食べ方
いちばんいいのは、ゴハンが冷めかけでみそ汁が熱い、という組み合わせだ。
みそ汁の実はないほうがいい。
ないほうがいいが、過去において、ジャガイモや玉ネギや大根の千六本と同居していた、という事実は欲しい。
入籍まではいかなくていいが、同棲の過去が欲しい。
この過去が、みそ汁の味に大きな影響を与えていてくれると、汁かけ飯はいっそううまくなる。
ゴハン茶碗で食べるか、みそ汁椀で食べるかという問題
ゴハンのほうにみそ汁をそそぐか、みそ汁にゴハンを投入するか、これも重要なテーマだ。
みそ汁に投入したゴハンのかたまりが、少しずつみそ汁の中に水没していく風情も好もしいが、みそ汁をかけられたゴハンのかたまりが、少しずつ崩れていく風情も捨てがたい。
この問題は、最終的に、ゴハン茶碗で食べるか、みそ汁椀で食べるかという問題にリンケージされていくわけで、どちらの本拠地を使用するかというメンツの問題ともなっていくことになる。僕としては、やはりみそ汁のほうの顔を立ててやりたいような気がする。
なぜかというと、汁かけ飯においては、みそ汁の果たす役割があまりにも大きいからだ。 みそ汁なくしては汁かけ飯は成り立たない(当たり前だ)。
まず、熱いみそ汁を、みそ汁椀にそそぐ。むろん、過去にいろいろあったが、いまは独身というみそ汁だ。
ここに冷たいゴハンを投入する。
電気釜で保温されていたゴハンは、いったん冷まさなければならない。量はみそ汁の半分ぐらい。
すなわち、みそ汁だぶだぶ、ゴハン水面下、という状態がベストだ。
ゴハンのかたまりを箸で突き崩したらすぐに食べ始める。
最初は圧倒的なみそ汁の味、続いてすぐに、まだ温まりきれないゴハンが流れこんできて混じりあい、ああ、この2人は、ついさっきまで別々に暮らしていたのだが、こうして一緒になる運命だったのだなあ、という味になる。
しかしよく考えてみると、みそ汁のほうは、ジャガイモや玉ネギと同棲していたという過去があるわけで、そのことをゴハンが嫉妬してもめるということもありうるのに、少しもそうしないでかえってそのことを祝福している、という味になる。
汁かけ飯は、お茶漬けと違って、冷えていたゴハンが、これから温まろうとするあたりがおいしい。
ゴハン粒にみそ汁がしみこまないほうがいい。口の中で、ゴハンとみそ汁が、はっきり別の味となっているところが、汁かけ飯のおいしさだ。そしてゴハンとみそ汁が、それぞれ独身だったときの味と違って双方、不思議な甘さを醸し出す。
最初の一口を、ズズッとすすりこんで、モグモグとゆっくり味わったあとは、なぜか急にフンガー的心境になって加速度がつき、残りは息もつかずに一気にかっこんでしまうところも、汁かけ飯の不思議なところだ。
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