今こそ食べたい「汁かけ飯」知られざる黄金律 意外と奥が深い汁かけ飯のおいしい食べ方
汁かけ飯は、罪の意識と共にすすりこむ食べものだったのである。
汁かけ飯は、1人で食べるときでも、作ってから必ず周りを見回し、それから食べたものだった。
罪の意識が、かえって汁かけ飯をおいしくさせるのであった。
さっきから、汁かけ飯、汁かけ飯と書いているのだが、これははたして正式な名称なのだろうか。
大体からして、社会的に認知されていない食べものであるから、ちゃんとした名前さえないのではないだろうか。
そう思って、不安にかられながら辞書を引いてみると、ちゃんとありました。
【汁掛け飯】みそ汁などをかけた飯。
よかった。逆転無罪だ。今日から青天白日の身だ。
汁かけ飯が衰退した理由
汁かけ飯というものは、食事の初期段階から、いきなりそういう事態に立ち至るということはあまりない。
必ず中盤以降、突如としてそういうことになる。
時間的逼迫、おかず的逼迫、この2つがそのきっかけになることが多い。この、二大重大逼迫を、汁かけ飯は一挙に解決してくれるのである。
近年、汁かけ飯が衰退した理由は、時間的逼迫のほうはともかく、おかず的逼迫という事態がほとんどなくなったせいかもしれない。
しかし、あれですね。汁かけ飯というものは、改めて感じましたが、やっぱりおいしいものですね。
それになにより懐かしい。
うまくて懐かしくて、思わず回想にひたってしまう。
やっぱり汁かけ飯というものは、ダイニングキッチンで食べるものではなく、茶の間が似合うようだ。
テーブルではなくちゃぶ台が似合う。
電気釜ではなく布巾のかかった木のおひつが似合う。
蛍光灯ではなく、二股ソケットの電球が似合う。
あの頃が、汁かけ飯の全盛時代だったような気がする。
だが、いま、この飽食の時代に、再び汁かけ飯が脚光を浴びようとしている(ぼくの周辺でだけだけどね)。
このところ、汁かけ飯に凝って、いろいろやってみた結果、次のような研究成果を得たのでここに発表したい。
ゴハンとみそ汁の両方が熱いとおいしくない。
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