自分も家族もいつ何時「鬼」と化すかも
「鬼滅の刃」の大ヒットは、不安の時代を象徴するカルチャーの1つといえるかもしれない。わたしたちにとって、この行き過ぎた経済のグローバル化によって、ヒトをヒトとも思わない悪鬼が暗躍する殺伐とした社会は、文字どおり「人を食い物にする」ロジックであふれかえっており、一体誰が誰を捕食しているかしれたものではない異様な世界になっている。
これは単純に「万人の万人に対する闘争」(トマス・ホッブズ)というよりも、自分も家族もいつ何時(人間の心を失って)「鬼」と化すかわからないという恐怖だ。しかも、ヒトに紛れ込んで暮らす、〝鬼の始祖〟である鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)が典型的だが、普通の人々には見分けがつかない〝ヒトもどき〟が潜んでいるかもしれないという懸念もある。
つまり、鬼はどこにでも現れうる「人間性を動揺させる脅威」として捉えられているのである。そこではこれまで自明とされてきた世界観はまったく通用しない。自らもそのダイナミズムに進んで適応しなくてはならないのだ。
これは、現代のわたしたちとって他人事ではない身近な問題に映る。社会学者のウルリヒ・ベックが提唱した「世界の変態」(Metamorphosis of the World)という考え方でそれがより鮮明になるだろう。
ベックは「世界の変態」について、「暗黙のうちに、つねに一定で不変だと思われている視野の基準と行為の座標軸が変容している」「昨日はまったく考えられなかったことが今日は可能なことになり現実となっている」ことであると述べ、従来あったいずれの世界観も確かなものではなくなり、支配的なものではなくなったことを強調する。
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