主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が直面する鬼という生態……ヒトを主食とし、不老不死(太陽の光などにより死ぬ)で、恐るべき身体能力を持つ……を通じた新しい現実がまさにそうだ。要するに、鬼とは、近年加速している「世界の変態」を表すと同時に、それを告知するメッセンジャーなのである。
ここに記されている「固定された確実性」が崩れ去り、「転回」の重大性を訴えるアラームこそが鬼といえるのである。
わたしたちは、従来の世界観に基づく価値判断を中心にして、それ以外の事物を周辺化するものの見方に慣れ親しんできた。これは、人種や宗教や父権などといったものを依然として重視する対立構造に軸足を置き、自分たちの認識こそがスタンダードであると信じて疑わない「天動説」のごときものである。
対立軸の思考ではなく包括する視点が必要
けれども、鬼とヒトを敵と味方といった対立軸でしか捉えられない「固定された」思考では災厄に対処できない。鬼とヒトを包括する視点から物事に向き合う必要があるのだ。その事実を突き付けるのが、鬼とヒトの境界的な存在であるヒロイン竈門禰豆子(かまどねずこ)であり、鬼舞辻を殺そうと企む珠世(たまよ)と愈史郎(ゆしろう)などである。わたしたちの思考の枠組みは、現実的には数多ある世界観の1つにすぎず、それらが「新しいルール」の周りを公転する「地動説」の世界を生きているからだ。
とはいえ、わたしたちは鬼とヒトに関するリアリスティックな思考について、一面では伝統的に受け継いできているはずのものであった。
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