ここにベックのいう「変態」の兆候があると言っても過言ではないだろう。なぜなら、その後の1世紀にわたる激動を振り返るまでもなく、それは「技術や経済が急速に近代化する副次的効果として、政治や民主主義の領域を超えて広がって」おり、「私たちのこれまでの存在や世界観に関する人類学的な“普遍的なもの”を破壊する大転換をもたらす」ものであるからだ(前掲書)。
『鬼滅の刃』はそのようなかつてない衝撃に備えるための心構えをわたしたちに体得させるエンターテインメントの側面も併せ持っていると考えることもできる。鬼にならないほうが不思議に思える弱肉強食の世界で、それでも鬼にならずに生き残るためには、主人公たちのように、「世界の変態の中で」目を凝らしながら、「守るべき人間たち」を見失わないことだ。いわば命を懸けて助け合える〝戦友〟のようなものである。
100年ライフにおける親密な関係性の価値
皮肉な話ではあるが、これこそが現代において最も困難な課題になりつつある。組織論学者のリンダ・グラットンと、経済学者のアンドリュー・スコットが、「100年ライフでは、感情のこもった強い友情を維持することはいっそう難しくなる。しかし同時に、そうした友人関係の価値はますます大きくなる」(『LIFE SHIFT 〈ライフシフト〉 100年時代の人生戦略』池村千秋訳、東洋経済新報社)と鋭く指摘したように、わたしたちが家族も含めた親密な関係性を確保し続けることは厳しくなっていかざるをえない。これは、最悪の場合、自信や動機付けなどを培う精神的な支えがなくなる深刻な事態をも意味している。
未曾有の危機と混乱に見舞われた世界そのものが、青虫が蛹になり蛹が蝶になるかのようにゆっくりと変態を遂げていく中で、あらゆる人々が同様に変態を余儀なくされる状況下で、わたしたちは自らの内なる鬼をいかに宥(なだ)め、正しく生きてゆくにはどうしたらいいのか。そんな普遍的で切実な問いを読み取っているのである。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら