公的年金保険の根本原則を知っていますか 「消費の平準化」を理解すればスッキリする

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と言っても、「1人当たり賃金が同じ世帯において、負担と給付は同じになる」という日本の公的年金の根本原則ができあがるのは、国民皆年金がはじまったとされる1961年ではない。

厚生年金は1941年に始まるわけだが(1942年に労働者年金保険から改称)、当時は、報酬比例部分、つまり先の図の三角形の部分しかなかった。そこに、1954年の1度目の年金大改革で、公的年金に再分配を組み込もうという狙いがあって、厚生年金は、報酬比例部分+定額部分の2階建てになる(この設計の下では、高所得者から低所得者に所得が再分配される)。しかしそのときの定額部分は、被保険者本人名義の年金であった。

1961年に国民年金が創設されてもその様子は変わらず、あのときは、配偶者と学生は任意加入とされていた。

1961年から24年後の1985年に2度目の大きな年金改革が行われ、定額部分を被保険者本人と配偶者2人分と読み替えることにし、単身世帯の定額部分と半分にしたのである。ここに、専業主婦の年金権が確保されるようになり、この時の第3号被保険者制度の誕生をもって任意加入は終わりになる。そして、2004年に3号分割という、保険料は夫婦2人で共同負担したとする宣言規定が法律に明記された。

学生は、1989年の改正で、障害者になったのに無年金である学生の事が問題になり、任意加入から強制加入に変更された。この時点ではじめて、言葉の正しい意味での国民皆年金になったということになる。ただ、学生の強制加入にも、親の負担を増大させるという批判が強くなり、2000年改正時に、強制加入は残すが、年間収入が一定額以下の学生には保険料納付を猶予して就職後の収入で追納する「学生納付特例制度」が導入され、現在に至っている。

1961年が国民皆年金になった年と一般にみなされている。だが制度の細部をみればあのときには皆年金は達成されていなかった。

年金の根本原則と賃金

1961年の国民皆年金の創設に携わった厚生省の小山進次郎さんは、次の言葉をのこしている。

予め自らの力でできるだけの備えをすることは、生活態度として当然のことであり、わが国の社会はこのような個人の自助努力、自己責任の原則を基として成り立っている。したがって国民年金制度を真に老後等の生活を支えうる本格的な年金制度とするためには、自助努力、自己責任の考え方にたった拠出制を基本とするものでなければならない。

これが、1961年の国民年金制度が設計される際に、社会保険方式が選択された大きな理由であった。

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