高知東生「55歳でようやく成人を迎えられた」 薬物依存症だった彼が人生を生き直せている訳

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──その根性論はいつまで続いたんですか?

高知:逮捕されるまでです。もっと厳密に言うと依存症の仲間たちと出会うまでです。捕まったとき、マトリの人から精神科医の松本俊彦先生を紹介され、松本先生のもと僕は依存症の治療を行うことになりました。また、捕まった後、Twitterを始めました。

すると「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表の田中紀子さんが半ば強引に僕にコンタクトを取ってきて、そこから自助グループにつながりました。今は依存症の仲間と出会い、自助グループであったり、自分を振り返る12ステッププログラムというものをやったりしています。

自助グループとの出会いで気持ちが楽になった

──12ステッププログラムは依存症治療の中では有名な治療法ですよね。その中で人生の棚卸しをするステップがあると思うのですが、それはつらいものでしたか?

依存症治療はすべてがつらいものばかりだった(写真:梅谷秀司)

高知:すべてがつらいものばかりでした。でも田中さんはプログラムを使いながら自分が歪んだ考えで「こうだろ」と思っていた方向から僕の体のどこかに針を刺してくれて、1本釣りでグワーッと180度引っ張ってくれました。「俺はこう思っているのに違う!」と思うこともあったのでしんどかったです。今僕は55歳で今年、56歳になるのですが、やっと成人式を迎えられたなと、治療や自助グループに参加していて思います。

──自助グループは言いっぱなし・聞きっぱなしの状態でそこで話されたことは一切外に漏らしてはいけないというルールがあると聞いています。高知さんは最初から素直に自分の気持ちを話すことができたのでしょうか?

高知:実は最初の3回くらいはおちゃらけてウケを狙って話していました。どこかで最初は「一緒にするなよ」という思いがありました。「ここで盛り上がればいいのかな?」というやっちゃいけない役者根性が出ていたんです。でも、ほかの仲間の話を聞くだけで共感が生まれて楽になってきて、そこからは勇気を持って本音を話したらもっと楽になったんです。

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