コロナが奪った日本の観光産業の「明るい未来」 観光史上最大の「勝負の年」が台無しにされた
とくに2012年以降の安倍政権は、インバウンド誘致による観光産業の振興を地方創生の切り札として極めて重視してきた。そして、この2020年をメドとする「強気な」政策目標達成のため、免税範囲の拡充やビザの発給要件などの各種規制緩和、関係施設の整備など、観光産業の振興に寄与する政策を他分野の産業よりも優先して強力に推し進めてきたのである。
このように、この国にとって何よりも不運だったのは、この国がコロナ禍に突入したのが、よりによって2020年度が始まる春だったということなのだ。数十年に一度の「勝負の年」に向けて官民を挙げて国中が思い切りアクセルを踏み込み、トップスピードまで加速した……、まさにその瞬間だったということである。
日本はすでに「崖っぷち」の状態
しかし、そもそもなぜここまで日本は観光に入れ込んだのだろうか。それを理解するためには、わが国がすでに「崖っぷち」にあったことを確認する必要がある。
現在の日本の観光政策の指針となった「明日の日本を支える観光ビジョン」と同じ2016年に発表された国勢調査(2015年)では、1920年の開始以来、国勢調査の歴史で初めて日本の総人口が減少に転じたことが話題になった。北九州市をはじめ全国で実に8割以上の自治体で人口が減少したのである。
明治元年である1868年には3400万人あまりだった日本の人口は2008年の1億2808万人をピークとし、このあとはまるで崖を転がり落ちるような猛烈な勢いで減少していくことが予想されている。まず2025年には日本は75歳以上の後期高齢者が5人に1人という超高齢化社会に突入する。
そして国立社会保障・人口問題研究所の発表した予測値における中位推計では、減少に転じてから56年後となる2065年には8808万人にまで落ち込むことが予想されている。
この影響はまず何よりも地方の過疎化を急速に進行させることになる。そして2050年には現在人の住んでいる居住地域のうち6割以上の地域で人口が半数以下に減少し、さらに約2割の地域が無居住化すると推計されている。
はたして、このような地方の深刻な過疎化は何を意味するのだろうか。
近代日本は、地方から大量に物的・人的資源を吸い上げることで都市が繁栄し、そしてそこで生み出された富を再配分することで国全体が繁栄するというサイクルの中で成長を続けてきた。
とくに戦後の日本では、地方から東京への一極集中は大きく分けて3回起きている。1回目は高度経済成長期、2回目はバブル期、そして3回目は2000年代以降である。高度経済成長期とバブル期の人口集中は好景気によるものであり、「東京のほうがいい仕事がある」という東京のプル要因に導かれての人口移動であった。
それに対して2000年代以降の一極集中は、少々事情が異なるのだ。長引く就職氷河期や地方経済の低迷により、「もう地方では食べていけない」という地方の窮状によって押し出されるようにして上京するというプッシュ要因によって起こっている人口移動なのである。
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