ジャニーズ最後の砦「V6」安定感が半端ない理由 六人六色の多様性と壁を作らない「やさしさ」

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またV6は、「終わらないアイドル」を体現するフロントランナーでもある。

ジャニーズアイドルの長命化は彼らに限ったことではないが、V6がある意味においてその先例になっている面はあるだろう。とくに2007年の井ノ原快彦を皮切りとして、長野博、岡田准一、森田剛とメンバー6人中4人が結婚していることは象徴的だ。

結婚するかしないかはもちろん個人の自由だが、結婚していることが自然に周囲から認められる状況をつくったという意味ではジャニーズの歴史、ひいては男性アイドルの歴史においても特筆すべきことだろう。

坂本と長野は「ジャニーズ出戻り組」

V6というグループそのものに目を向けてみると、彼らは多彩なメンバーの集まりだ。経歴も個性もバラバラな6人が集まっている面白さが、V6にはある。まさに“多様性の塊”といったところだ。

まず基本的なこととして、グループ内での年齢の幅が大きいことがある。V6は年長組の20th Century(トニセン)と年少組のComing Century(カミセン)からなるが、リーダーで最年長の坂本昌行(1971年7月生まれ)と最年少の岡田准一(1980年11月生まれ)では9歳という年齢の開きがある。

そうしたこともあってか、デビューまでの経緯もバラエティーに富んでいる。

「剛健コンビ」と呼ばれ人気を集めていた森田剛と三宅健。「若者のすべて」(フジテレビ系、1994年放送)で木村拓哉を刺してしまう少年役が印象的だった井ノ原快彦。彼らのように、ジャニーズJr.で何年か活動してそのままデビューという一般的な経歴のメンバーばかりではない。

1988年に入所した坂本昌行は、一度ジャニーズ事務所を辞めてサラリーマン生活を送っていた。だがもう一度ステージに立ちたいという思いが強くなり、TOKIO・国分太一の仲介でジャニーズに復帰した(「元日はTOKIO×嵐 嵐にしやがれ 元日は嵐旅館開店SP」日本テレビ系、2015年1月1日放送)。

長野博にも、同じく苦労人の一面がある。1972年生まれの長野も、1986年に入所するも高2のときに一度、事務所を辞めている。その後専門学校生だったときにジャニー喜多川からの電話で復帰。しかし、それでも仕事はなくアルバイトをしたり、少年隊・植草克秀の付き人をしたりという日々だった(「人生最高レストラン」TBSテレビ系、2020年10月31日放送)。

【2020年11月16日10時30分追記】初出時、長野博さんの入所年が1988年になっていましたが、正しくは1986年でしたので、訂正しました。

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