人間国宝・神田松鯉が語る「講談と落語」の違い 似ているようで決定的な差がある
講談師は「戦記物」を読んで聞かせていた
講談と落語というこの二つの芸は、まず外見からして違います。どちらも着物姿で登場しますが、講談師は高座に上がると、釈台と呼ばれる文机(ふづくえ)を使います。講談師は昔、講釈師と呼ばれていました。講釈師が使う台なので、釈台と呼んだわけです。
なぜ釈台を置くかというと、かつての講談師は軍記物語の『太平記』『源平盛衰記』といった戦記物を読んで聞かせていたからです。釈台に本を置いていた名残りなのですね。古書に残る講談師を描いた挿絵には、釈台の脇に本を積んで高座を務めている姿が残されています。いつごろから本を置かなくなったのか、定かではありません。
江戸時代中期の講談師を描いた挿絵では本を置いていますから、幕末以降ではないでしょうか。もしかしたら、落語の影響かもしれません。
講談と同時期に流行した落語は、「話す芸」ですから本は置きません。もしかすると、「講談師は覚えもしねえで、本を読んでいる」と落語と比べられたからかもしれない。あくまでも推測にすぎませんが。今でも講談には、軍談物を演じるときには台本を置いてよいという伝えがあります。
あるとき、私が釈台に本を置いて口演したところ、顔見知りから「内容を覚えていないから置いたんだろう」と言われたことがありました。
本を置いてめくるのはパフォーマンスであって、覚えていないわけではありません。昔の講談師であれ、内容はすっかり頭に入っていたはずです。
そういうことが誤解されたり、落語と比べられたりしたことで、もしかしたら本を置かなくなったのではないかと思っています。
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