和歌山「野菜の魔術師」が東京進出に興味ない訳 1日1組だけ、プロの料理人も訪れる人気店
ここからもう少し、小林シェフにお話を伺ってみました。いただいた小林さんの名刺には「Chef & Farmer」の肩書が。元々ご実家は農家で、今のお店があるのも、その一画なのだとか。
「代々、米農家でした。でもお米は6月に田植えして9月には稲刈り。あとは暇だったので野菜も作っていました。自宅用ですけど」
── では、子供時代は、家の手伝いで農作業も?
「手伝いはしてましたけど、イヤだった。だから農家にならず料理を始めたんです(笑)」
── でも、結果としてファーマーにもなったと。
「そうですね。本業はシェフですけど(笑)」
高校を卒業して調理師学校を出た小林さん、まずは大阪のイタリア料理店で2年ほど修業。その後、単身イタリアに渡って、4年にわたって8店舗ものレストランで修業。地域の食材を使ってそれぞれの地元ならではの郷土料理を作るレストランが中心でした。
帰国後は、どこかの店に勤めることなく、地元和歌山で自ら開業。25歳の時でした。
何をやっても客が来ないことも
── 元々は日本の食材でイタリアの郷土料理を再現するみたいなところからスタート?
「そうです」
── でも、今はだいぶ変わっていますよね。
「そこから大分離れて……自由な発想ですね」
── その土地ならではの食材を生かした、そこでしか味わえない独創性のある料理ということですが。
「そうですね。素材をそのまま使うなら誰にもできる。でも、もっと美味しくしたい。例えばサンマは塩焼きすれば美味しいんですけど、やっぱり大根おろしと醤油をかけたらもっと美味しい。それぞれ醤油も美味しい、大根も美味しい、サンマも美味しい、それが皿の上で組み合わされば相乗効果でもっと美味しくなる」
── なるほど。そうやって食材を美味しく食べる方法を探してきた。そのスタイルはずっと変わらない?
「いや。でも途中は紆余曲折色々あって。今年オープン22年めになるんですけど、何をやってもお客さんが来ないという時期もありましたし。フォアグラ出しても、スパゲティ出しても、お客さんは来ない。安いランチで集客を考えたこともありましたが、それだと、ず~っと続けていくのは無理なんです。
畑とレストランを両立しながら、安い料理を作って人をこなすって体力的に無理。どうしたらいいんだと、ヒネクレタ時期もあって(笑)。じゃあ、もう好きなことをやろうと。それでダメなら辞めようと思ってました」
そこで振り切ったところから、お店の快進撃が始まったそうです。その土地でその時季にしか食べられない素材を、ひらめきと研究で最高の美味しさに仕立てあげ、わずかにも無駄にすることなく使い切って提供するスタイルは、SDGsなど持続可能な経済が望まれる今の時代の流れにもマッチして、まさに世界から注目される店へと育っていったのです。