忘れたい、忘れられたと思っていた娘が、急に恋しくなったのは最近だ。乳がんの疑いで手術をしたときに、初めて死を身近に感じた。40歳を超え、人生80年だとしたら折り返し地点は過ぎた。このまま娘に会えずに一生を終わるのか。そう思ったら、急に娘に会いたくなった。母親との葛藤のなかでふたをしていた感情が、「家族」との穏やかな生活を通してあふれ始めた。
母性は、生まれながらに備わっているものではなく、与えられて育てていくものだと思う。自分が与えられたことのない母性を表現することは難しい。一方で母性は、必ずしも自分の親からだけではなく、自分を受け入れてくれる他人からも与えてもらえる。「ウマが合う」義母の存在が、彼女の母性を少しずつ育ててくれたのかもしれない。
「生きているよ」と伝えたい、切なる願い
「少ない」と思っていた母性が、いま彼女の魂の奥から静かに湧き出ている。勇気を振り絞り、冴子さんは元夫に「お元気ですか」とメールを出した。「元気だよ。こちらは相変わらずだよ」と返信があった。しかし、娘の様子を聞くと「娘には関わらないでくれ」と言い、それきりメールは途絶えた。
「あちらの家族は、娘に『母親は死んだ』と伝えているのでしょうか。でも、娘ももう16歳。お墓もないし位牌もないので、さすがにおかしいと思うでしょう。生きているよ、元気だよ、と伝えたいんです」
13年経ち、いまさら娘を取り戻したいわけではない。ただ、会って話したいだけだ。少しでも、母性のかけらを手渡したい。
「娘自身は、私のことなんてどうでもいいんだと思うんです。母親が生きていると知っても、別に会いたくもないでしょう」――と彼女は言うが、いやいや。子どもが母性を求める気持ちの根深さは、冴子さん自身がよく知っているはずだ。
いま冴子さんは、娘との再会に向けてさまざまな方法を探っている。手紙を書こうか、それとも……。母娘の幸せな未来があることを祈りたい。
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