世界のKENZOを支えた料理人が見た粋な去り際 専属シェフとして「師」に学んだ人が育つ指導法

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専属料理人だった中山豊光氏を通して、多くの日本人が知らない“賢三さん” の素顔に迫ります(写真:AFP=時事)

10月4日、新型コロナウイルス感染の合併症によって亡くなったファッションデザイナーの高田賢三(享年81歳)。「KENZO」のブランドとともに、ファッション史に遺した彼の功績は、改めて述べるまでもないだろう。長くパリを拠点に活動してきたため、その素顔を日本人で知る人は少ない。が、専属料理人として長きにわたって高田に仕え、身近に接してきた日本人がいる。

中山豊光氏。2009年に「Restaurant TOYO」をパリにオープンして以来、フレンチと日本料理を調和させた独自のスタイルでパリの食通を唸らせ続けているシェフだ。

師弟であり、親子のようであり、親友でもある――そんな唯一無二の関係を高田と紡いできた中山氏が語る、多くの日本人が知らない“賢三さん” の素顔とは。

レストランでは学べない「専属料理人」の仕事に魅かれる

感染者数が再び急増し、夜間の外出を制限されるなどコロナ禍が深刻さを増しているパリ。厳しい状況が続く中、高田は亡くなるわずか3週間前にも中山氏の店を訪れ、気遣ってくれたという。

「その時も、僕が逆に『感染者が増えているから気をつけなさいよ』と注意されたばかりだったんです。それが、賢三さんのほうがこうなってしまって。何が何だか、いまだにわからないですね」

中山氏の高田との出会いは、20年前にさかのぼる。当時、中山氏が厨房のトップを務めていたパリの日本料理店「伊勢」の常連客の一人が高田だった。

神戸のフランス料理店から単身で渡仏。フレンチシェフから一転、「日本料理を一から学びたい」と日本料理の世界へ――料理人としては異端なキャリアを持つ中山氏に、「高田賢三の専属料理人にならないか」というオファーは突然やってきた。

帰国することも考えていた中山氏が、悩んだ末にオファーを受けたのは「レストランのシェフでは学べない世界がある」と直感したからだ。

「これまでも、賢三さんの主催するパーティーをお手伝いする機会がありました。その時に、コンセプト作りから企画に携わらせてもらったのがおもしろくて。料理にとどまらない、専属料理人の仕事に魅力と可能性を感じたのです」

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