「桶狭間の戦い」が今も歴史に深く刻まれる意味 「うつけ」が起こした戦国史上最大の大逆転
ところがどっこい、時は戦国。
身分関係なく、おのれの力と才能だけでのし上がれる時代です。
信長のパパ・信秀は、グイグイと勢力を伸ばし、上司たちをしのぐほどの力を手に入れ、
「尾張で一番強ぇーといえば、織田信秀だよ!」
と言われるくらいまでになったんですね。
そんなパパが亡くなり、家督(家のトップ)をついだのが織田信長。
19歳のころだったと言われてます。
信長は子どものころから「うつけ」だった
しかしこの信長くん、子どものころからあることで有名なんです。それは、
うつけ。
現代の言葉で言えば、バカ。
上半身裸で友達の肩に寄りかかり、餅(もち)や瓜(うり)を食べながら町中をうろついたり、お父さんの葬式さえもすっぽかして……と思ってたら、途中からズカズカと入ってきて、お焼香の粉(抹香)をパパの位牌に投げつけたり、と、かなりアグレッシブなバカで
名を馳せておりました。
とにかく、そんな信長ですから、
「大うつけ(=超バカ)だし、まだ全然若いし、ありゃダメだろ」
と、織田家のトップになっても、まわりからはナメられまくり。
しかも、敵からナメられるのはギリわかるんですが、身内まであなどってきたもんだから、ドロ沼状態です。何人かの家臣が
「うつけより、弟さんのほうが織田家のトップにふさわしいだろ!」
と、信長の弟・信勝と一緒に歯向かってきて、てんやわんやのわんやわんや。
中も敵、外も敵、360度テキダラケビューだったんですね。
ただ、フタを開けてみれば信長ヤバかった。
パパと同じ、いや、それ以上の実力を持っていたんです。
信長という新時代のカリスマは、弟もまわりの敵もなぎ倒し、織田家の家臣団もまとめ上げ、なんと、尾張国を〝ほぼほぼ平定〟するまでになったのでした。
これで、やっと胸を張って、
織田信長「オレが、尾張国の戦国大名だぁ!!」
と言えるようになったところへ、全国トップレベルの超スーパー戦国大名、
今川義元
が攻めてきちゃうんです。
終わりました。
(第2回に続く)
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