「桶狭間の戦い」が今も歴史に深く刻まれる意味 「うつけ」が起こした戦国史上最大の大逆転

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そう、織田信長のおかげで、その周辺の相関図 がガラッと変わる大逆転バトルだったから、『桶狭間の戦い』は重要とされてるんですね。

さて、この桶狭間さん。僕と同世代以上(2020年時点のアラフォー以上)の方の中には、

「知ってるよ。今川義元が天下統一を目指して京都へ行く途中に、織田信長を倒そうとした戦いでしょ。で、桶狭間っていうくぼんだところで酒盛りしてたら、信長に後ろから奇襲でやられたやつだ」

という、大体のストーリーを知ってる方も多いと思います。学校なんかで習ってて。

でも、この大体のストーリー、大体違います。

「違う」というと言いすぎですが、最近じゃこのストーリーが正しい可能性は低いって言われてるんです、はい。

それじゃ、本当はどんな戦いだったのか?

では、ここから『桶狭間の戦い』のことを、ちょっとだけ詳しくお話ししていきたいと思います。

ですが、結局知っておいてもらいたいのは、さっきの《1560年。まだ……》の中のことだけ。あとは、ゴチャゴチャうるせーなと思いながら読んでいただいてけっこうです。

では、いきます。『桶狭間の戦い』。

舞台となるのは、いまの東海地方。主人公は、とうぜん織田信長です。

戦国時代と聞いて、「わたしダメなのよー。アレルギーなのよー」と苦虫かみつぶしてペッとはく人も、この名前だけは知ってるんじゃないでしょうか。と同時に、

信長は「まだ安定した力を持っていなかった」

「信長ってなんか革命的で、強かったんでしょ?」

というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、それはまだ先の話。

『桶狭間の戦い』が起こる前の信長は、強くありません。

強くないって言うと、少し語弊がありますね。

「まだ安定した力を持っていなかった」

と言ったほうがしっくりくるかも。

織田信長の出身は、尾張国(愛知県西部)。

お家の「織田家」は、尾張国を治めていた大名……じゃあないんです。

信長の実家 ・織田家は、『守護大名』の、家臣の『守護代』の、家臣だったんです。

現代で言えば、「都道府県知事の部下の部下」というのが、信長さん家のポジションだったんですね(あくまでイメージね)。

つまり織田さんは、その地域に〝王国〟を築けるような家柄ではなかったんですよ。

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