――撮影が終わっても、現場から離れがたかったと聞きましたが。
離れがたかったです。テリー伊藤さんなんかも、「みをつくし料理帖」というシリーズを、何年かに1回ずつでもずっと続けるべきだというんですよ。今回、試写室で観た人たちの意見も、原作者も含めてみんな続編をやってもらいたいと。それはしかし、今回の映画『みをつくし料理帖』で、自分が思っているような成果が出ないと、それはないですよと言ってきたんです。ただ自分が思っている以上の成果が出る可能性もあるわけですからね。
――当然、その成果を出すために動くということですね。
この映画は早々に10月16日に公開すると決めていました。(角川映画第一弾作品となる1976年の)『犬神家の一族』の公開日も10月16日。偶然ですが、10月16日という日程だけは早い段階で決めたんですよ。試写会も本来は4月にやる予定だったんですが、それも伸ばしました。
私の中ではいろいろなことが見えていたんですね。コロナもこの映画が公開する頃には、フルキャパで入れる状態になるだろうと言ってきたんですが、9月19日から一部の劇場ではフルキャパで入れるようになりました。その直前の9月17日に完成披露試写会をやったんですが、その日付も前から決めていた。
これも「マジック」のひとつですね。次々に奇跡を起こしていくものだから、宣伝チームらも監督は本当にすごいと驚いていましたよ。
今の映画は冒険をしなくなった
――ところでこの作品は、角川監督にとって初のデジタル撮影となったそうですが、何か変わったと感じたことはありますか。
料理は、フィルムよりもデジタルのほうがよりリアルに見えるんです。だからこれは初めから4Kか5Kで撮りたいと思っていたんですよ。この10年映画をやっていない間に、世の中の流れが、カメラだけでなく映画館の上映自体もフィルムではなくなった。でもそういう変化は、現場に入ってすぐにわかったので、戸惑うこともなかったですね。
――とはいえ、映画界も1980年代とはだいぶ様変わりしたと思いますが。
変わりましたね。先ほど言った、スタッフやキャストの力を引っ張りあげていくということが監督の役割であるとするならば、今の演出家はできてないなと。例えば澤井信一郎さんの2作目の監督作品が『Wの悲劇』だったわけです。スタッフやカメラも含めて、(2作目からそういうものがつくれるという)力が感じられないですね。
企画もそうですよ。原作や企画の段階で、奈緒と穂香で映画をやろうというのは、私でなかったらできなかったでしょう。過去のデータや実績をもとにするのではなく、クリエーティブから私は出発していますから。
世の中の流行に合わせたことは一度もないんですよ。自分が作る側にあるわけですから、そういった意味で言うと、企画も演出も劣化したんじゃないかと思いますね。冒険をしなくなったということですね。
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