少しばかり教科書的に、筒美京平の功績をひもといてみたが、ここまでを読んでも、作曲家・筒美京平の真の功績や価値は、十分に伝わらないのではないかと懸念する。とくに80年代、『スニーカーぶる~す』以降、筒美京平が名実ともに「王道」となった中で、幼少時代を過ごした40代の人々にとっては。
逆に90年代以降の、主に「渋谷系」ムーヴメントにおいて、小沢健二やピチカート・ファイヴとのコラボに象徴される「筒美京平リスペクト」の気運を知っている30代の方々には、もろもろが違和感なく伝わっているのかもしれないのだが。
私は80年代に青春時代を過ごした口だが、70年代の筒美京平作品も、子どもながらにリアルタイムで聴いていた世代でもある(54歳)。その世代感覚から思うのは、1979年=『魅せられて』までの作品群のほうに、ひきつけられる度合いが強いということだ。言い換えれば、1979年と1980年の間、『魅せられて』と『スニーカーぶる~す』の間あたりに「筒美京平フォッサマグナ」があるということ。
確かに80年代以降にも、好きな筒美京平作品は山ほどある(小泉今日子『夜明けのMEW』など)。ただ、筒美京平作品が、音楽シーンの中で、明らかに斬新だった、まだまだ異端だったのは、筒美が40代になる前に生み出した1979年までの作品群だったと思うのだ。
このあたりは意見が分かれるところかもしれないが、まだ未聴の方がいるならば、まずは本稿で述べた60~70年代の筒美京平作品に耳を澄ませ、「お茶の間化力」を駆使しながら、キレッキレの作詞家との刺激的なコラボの中で、斬新でハイカラなヒット曲を量産し続けた筒美の本領を感じてほしいと思う。
今後現れることのない無二の作曲家
ビーチ・ボーイズに『ペット・サウンズ』(1966年)という独創的な傑作アルバムがある。山下達郎は、そのライナーノーツにこう書いている。
筒美京平を強くリスペクトする山下達郎のこの文章になぞらえながら、筒美に対する私の思いを記して、本稿を終わりたい。
――筒美京平作品のような響きを生み出せる作曲家は、あらゆる意味でたった1人きりであり、あのような響きは今後も決して現れることはない。それゆえに筒美京平作品は、一見王道に見えて、でも、だからこそ異端であり、ゆえに悲しい程美しい。
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