引き取り手ない「お骨」が彷徨う家族遺棄の過酷 無縁仏と向き合う横須賀市職員が見た現実

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北見は、その後、横須賀市の業務としてエンディングプランサポート事業と、終活登録という事業を立ち上げた。

終活登録は、何かあった時の緊急連絡先やかかりつけ医を登録してもらうことで、万が一の時、本人が指定した方に開示するというもの。エンディングプランサポート事業は、一人暮らしで身寄りがなく、一定収入以下の人が市の協力葬儀社と生前契約をして、費用を預けてもらうというプランだ。

北見は、この2つの事業を周知すべく、日本全国を講演や出前トークで、飛び回っている。実際に、横須賀市と同じ事業を立ち上げた地方自治体も多い。

私は、北見が車を走らせながらつぶやいた言葉を反芻していた。ギスギスした社会について、何気なく私が話を振ると、北見はこう返してきた。

「みんな、放り出されているんだよ」

「家庭が、ガタついてるからさ。そもそも3世代同居の家庭がなくなって、じいちゃんばあちゃんという逃げ場もない。兄弟もいないから、かばい合いもなくて、人間づきあいが下手。会社が家族のように関わる時代でもない。葬式もやってくれるわけではない、みんな、放り出されてるんだよ」

『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

みんな放り出されている──、この言葉が、やけに印象に残った。そうかもしれない。北見は物憂げな視線でハンドルを握り、窓の外を見つめていた。北見は、「放り出された者」たちと懸命に向き合い、抗おうとしていた。放り出された者たちは生ける者も、死者も、各々がさまざまな形で、どこか出口を求めてさ迷っている。家族遺棄社会とは、そんな社会なのかもしれなかった。

北見の行為は、人間愛、慈悲にあふれている。北見の優しさが、私の心に突き刺さる。北見が役所のロッカーに、ため込んだ行き場のないお骨たち。そこにはその最後を引き受ける生者の苦悩があった。

しかし、根本的には捨てる人、捨てられる人を作り出した孤立と分断によって成り立っている日本社会の問題が根深く横たわっている。そこが解決しない限り、引き取り手のないお骨は増え続ける。無縁納骨堂で見た北見の寂し気な後ろ姿がふと、脳裏によみがえった。その姿は、私たち1人ひとりに、日本が向かう未来はこれでいいのかという問いを突きつけている。

菅野 久美子 ノンフィクション作家

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かんの・くみこ / Kumiko Kanno

1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経て、2005年よりフリーライターに。単著に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国』(双葉社)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(KADOKAWA)『母を捨てる』(プレジデント社)など。

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