引き取り手ない「お骨」が彷徨う家族遺棄の過酷 無縁仏と向き合う横須賀市職員が見た現実

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北見が、「終わり」というのは、引き取り手が見つからず、本当の無縁になってしまったということを意味する。家族を探そうと奮闘したが、ついには最終地点まできてしまったというわけだ。

名前も身元も判明しているのに、無縁納骨堂が最後の行き場となってしまう。北見はとてつもなく優しい男で、そんな遺骨の状況を誰よりも憂えていた。

急増する一般市民の無縁仏が現す社会

なぜ、引き取り手のない遺骨が増え続けるのか。

横須賀市役所は平成30(2018)年度、53人の方の遺骨を預かっている。これらは、いわば無縁納骨堂に入れる仮の候補者たちだ。もちろん、市の職員は、身内を探す。そのうち10件は電話番号が不明で、住民票を調べて親族にお悔やみの手紙を送って知らせたが、いまだに連絡がつかない。他の43件は、遺族に連絡を取ったものの、引き取りを拒否されている。

多くが、「高齢で、遠いからいけない」「入れるお墓がない」など、もともと親族間のつながりが薄かったのではと感じるケースである。

北見が無縁仏と向き合うようになったのにはあるきっかけがある。

2017年以前は、無縁仏が出ると北見ら、市の職員は海軍墓地の山の上に持っていくのが習わしだった。骨壺から土嚢袋に詰め替えた骨を持っていき、穴を掘って埋めていく。骨壺のままでは大きすぎて入らないためだ。

「それで気がついたんですよ。今、無縁の納骨堂に持っていかれちゃうのは、一般市民なんだということを。今までは葬儀もお骨の引き取りも、ご家族がやってくれていた。だけど、1人暮らしが増えちゃって、家族でできない人がたくさん出てきちゃった。親族も遠くに離れている。そういう状況なのに、我々が黙って見放していていいのか」

北見が無縁化を後押ししたと感じる2つの大きな時代の変化がある。

1つは単身世帯の増加だ。日本中で1世帯当たりの平均世帯員数が3人を割り込んだのが、1992年。このころから、引き取り手のない遺骨が横須賀市でも徐々に増え始めた。

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