堀江貴文「誰だってタダでいくらでも学べる」 学校に通うということにこだわらなくていい

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そうやって高速で行動、検証、改善を続けて進化していく者と、教科書などのマニュアルをなぞることだけを繰り返している者とではどちらが人間として進歩するか。考えるまでもないだろう。

オープンイノベーションに参加するうえでただ1つのストッパーは、「自分にはできない」という決めつけだ。その原因になっているのは、義務教育における「これを学ぶべきだ」「これをしてはいけない」という、出る杭を打つルールや規制。そして個性を均一化することで植えつけられた自己抑制の悪習慣だと、僕は思う。

そんな鎖は引きちぎれ! 自ら学び、アイデアを行動に移すことができる人材が、もっと増えるといい。

もう学校に通い、先生から教わるという既存のシステムにはこだわらなくていいのだ。自分の興味関心のおもむくまま世界中から情報を集め、好き勝手にガンガン独学して周りの力を借りながら実践していくのが当たり前だ。

2020年はコロナ禍によって、学校に行けない学生たちが日本社会にあふれた。自宅学習になって、みんな気づいたのではないだろうか? 学校へ行かなくても、学びたい気持は、自力でじゅうぶん満たせるのだ。

思いを行動に移して、オープンイノベーションの世界を、使い尽くしていこう。

いまこそ江戸時代の寺子屋に学べ

日本人は、先進国の中でも金融(お金の貸し借り)に対するリテラシー(理解力)が低いと言われている。金融学の専門家がSNSなどで発信しているけれど、有効活用できている人はごくわずかだろう。大卒でも、多くの人が直接金融と間接金融の仕組みを理解できていないし、投資と投機の違いすらよくわかっていないと思う。

歴史をひもとくと、意外な事実がわかる。江戸時代まで、日本人は世界有数の金融リテラシーを誇っていた。そのため貨幣経済にいち早く移行でき、計算の複雑な年貢システムにも対応できた。町民同士での商取引に、会計の基礎を採り入れた。利息の複利計算など、庶民が数学の理解力に長けていた。そんな能力を養っていたのは、寺子屋教育だ。

次ページ寺子屋は基本的に個別教育だった
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事