ポピュリズムが招くニヒリズムを不可避な理由 「日本的精神」の真髄が示す希望の兆しと可能性

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それでもまだ飢餓と戦争はもともとが人為的なものということもできる。しかし、自然災害となればそうはいかない。巨大地震や地球環境の異変は自然の脅威を改めて知らしめ、地球温暖化による異常気象など、地球環境の変化は間違いなく生じている。

そして、感染症の危機についていえば、今回のパンデミックは病原体の脅威を改めて明るみに出した。医学や感染症学はつねに病原体と闘ってきた。

しかし、どうやら予防医学が発達すればそれにつれて病原体の方も変異を起こし、より強い病原体を生み出してしまうらしいのである。文明の名によって感染症を根絶することはまず不可能に近い。

かくて、今回、文明の皮膜がいかに薄弱なものかを改めて知ることになったのである。一見、自由や豊かさを見事なまでに実現したかに見える現代文明の中で、われわれの生がいかに死と隣り合わせであり、いかに脆いものかをわれわれは改めて知った。

カミュの『ペスト』が描き出したように、われわれの生は、人間が決して管理できない不条理と隣り合わせなのである。文明のすぐ裏には、確かにつねに「死」が待ち構えているのである。

西洋とは異質な「日本的なるもの」

現代文明は、グローバル資本主義、大衆民主主義、科学主義とイノベーション、自由主義、それに実証主義や計量主義といった価値をほとんど暴走させてしまっている。それに対する有効な歯止めはどこにもない。しかもそれらの無限の追求が人間の幸福をいっそう増進するだろうという漠然たる期待が支配している。

だがまた、これらの今日支配的な価値がわれわれの生を相当に窮屈なものとし、伝統を破壊し、人々の安定した関係を崩壊させている。現代文明はやはりニヒリズムに覆い尽くされているのであり、その根底に西洋近代の思想が強く作用しているのである。

明治以降、すさまじい勢いで西洋の思想や文化を受け入れたわれわれ日本人にとって西洋の科学や西洋の論理や哲学は、ほとんど洋服を着て街を歩いているように身に着いてしまったように見える。いや、われわれはすっかりそう思い込んでいる。

そのことは別に間違っているわけではなく、むしろ、西洋文化の持つ魅力や力強さや深さをいち早く理解し、わがものとしようとした日本人の知的な柔軟性や鋭い感受性を、そこに見るべきかもしれない。

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