41歳で初の名刺を得た彼女が苦悩から脱せた訳 就職難に翻弄され、親との関係にも悩み抜いた

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ここにたどり着くまで、とてつもなく長い道のりだった。里美さんは、今家を出て母親と連絡を絶ち、40代半ばにして、ようやく心の平穏を取り戻そうとしている。

里美さんは、かつての自らの生きづらさについて赤裸々に語る。就職氷河期、ロスジェネ世代については思うところがある。

「この国がロスジェネにしてきた仕打ちは、非正規雇用を名目に、いくつになっても基礎レベルをあてがい、『成長すること』をつぶしてきたことだと思っています。それは40~50代になっても、経験値が低い人間の量産につながっています。

私の場合も歳を重ねても雑用ばかりで、転職活動時に売りになるスキルがありませんでした。年齢が上がるにつれて内定も得にくくなり、内定が取れるのは、同じ非正規雇用の雑用。永遠の非正規スパイラルにはまるしかない。正社員になれるまで200社近くは受けたと思います。そうなると、社会からも孤立しやすくなる。経済的自立も難しいから、親からもなかなか離れられなかった。それが私の生きづらさだったんです」

親ではなく世の中を教科書に

出口の見えない長く暗いトンネルの中、様々な困難と向き合ってきた里美さん。時代に翻弄され、親との関係にも散々苦しんできた。

里美さんがこれまでの人生を通じて感じたこと、それは実の親ではなく、世の中を教科書にするということだ。世の中には、良い人もいるし、悪い人もいる。そんな人たちを人生のお手本にすればいい。また、必ずしも親を愛する必要はない。多様な価値観を知ることで、自分の状況を客観的にとらえることができるようになった。ずっと息切れするような人生で苦しかったが、自分の居場所をようやく手に入れた。

そんな人生の転機の中、猛威を振るい始めた新型コロナウイルス――、これからさらに過酷なことが待ち受けているかもかしれないという危機感もある。しかし、里美さんは今後どんな状況になっても、技術を着実に身に着けることで、社会に貢献したいと話す。里美さんの真っすぐな眼差し――。そこにもはや迷いはない。里美さんの新たな人生は、まだ始まったばかりだ。

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菅野 久美子 ノンフィクション作家

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かんの・くみこ / Kumiko Kanno

1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経て、2005年よりフリーライターに。単著に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国』(双葉社)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(KADOKAWA)『母を捨てる』(プレジデント社)など。

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