41歳で初の名刺を得た彼女が苦悩から脱せた訳 就職難に翻弄され、親との関係にも悩み抜いた

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自分の身を守るためには、とにかく稼げる女にならなきゃいけない。私が稼げるようになって、親の要求額にも平気で払えるくらいになれば、自分も楽になる。お金を稼ぐためにはどうしたらいいのだろう。常にそんな強迫的な思いに支配されていた。

里美さんが救われたのは、ふとしたきっかけで、毒親という言葉を知ったときだ。親を愛せないなんて、おかしいんじゃないだろうか、誰にも言えない思いを抱えて、1人で苦しんでいた。

しかし、「親、嫌い」と検索ワードを入れてネットで検索したら同じ思いをしている人たちの告白がたくさんヒットした。毒親という言葉を知ることで、自分はおかしくないと感じた。孤立感が消えて、凝り固まった心が溶けたようだった。

「そのまま気づかずに育つと、心が折れていたと思うんです。でも、私はそれに途中で気が付いたのでギリギリのところで心がやられずに済んだんですよね」

ある日、広告で「仕事を選べる、時給も選べる、働きながらスキルアップ」そんな口当たりのいいフレーズが目に入った。そこで新卒で入ったブラック企業を1年で辞めて、派遣の事務職に鞍替えすることにした。

30歳を境に仕事の紹介案件が激減

派遣で働き始めた当初は、まだ外が明るい時間に帰れる事実に感動した。前職のときと違って、まともな時間にご飯も食べられるし、帰りに買い物もできる。天国だと思った。しかし任せられる仕事は雑用のようなものばかりで、数カ月から長くても1年で雇用契約を打ち切られてしまう。

30歳になると、誕生日を境に仕事の紹介案件の件数が露骨に減ったことに気がついた。派遣でも不採用が続き、慌てて直接雇用を受けようとしたが、経験値が低すぎて受けられないという事実にぶち当たり、愕然とした。

「どれだけエントリーしても面接にも採用されない現実に気がついたんです。派遣はあくまでも社員の補佐。雑用みたいな経験しか積めず、やっていてはいけない雇用形態だったんだと痛感しました」

焦った里美さんは、「正社員登用制度あり」の文言に飛びつき、建設会社の契約社員の事務職に就いた。業務内容は、部署の電話番や雑用だ。手取りは月14万円。正社員登用を当てにし、1年更新で11年働いたが、トータルで月給は1万3000円しか昇給しなかった。ボーナスはもちろんない。登用制度は求人を集めるための謳い文句に過ぎず正社員になることもなかった。かつてはブラック企業で残業に苦しんだが、ここでは逆に仕事がないという事実に苦しむことになる。

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